レジュメ

私のレジュメは結構細かい。なんせ頭が悪いので、自分の言いたいことを事細かに書いておかないと忘れるのだ。基本的にアドリブが多いくせに物覚えがよくない。だからレジュメが細かい。
細かいレジュメは、学生にとってはラッキーだろう。私もそう思った。教師のいうことをまともに聞かなくても大丈夫だからだ。で、理の当然としてレジュメだけ受け取って帰る学生も出てくる。詳細なレジュメなので、読めば講義の内容はほぼ理解できる、という幻想を持つのだろう。実際には幻想なのだが。細かい、といっても何の注釈もなしに「非領主制論」が出てくる。「顕密体制論」と「権門体制論」と「荘園社会論」の相互関係が理解できていないと、訳が分からないところが出てくる。その相互関係を理解するためにはK.マルクスの『経済学批判』の「序説」だけでも理解してもらわないと困る。というように以外と細かいレジュメでも省略されているところはあるのだ。史的唯物論の「公式」は黒板で講義するので(図で説明するので、ワープロではやりづらいのだ)、当然講義に出席していないと理解できない。
困ったことは、そんなこと理解できなくても実社会では何の問題もない、ということだ。それどころか、詳しく知っていると「サヨク」というレッテルを貼られても文句が言えないだろう。
まあ歴史学なんて壮大なトリビアだ。「へぇ〜」と思っていてくれればいいのだ。特に今担当している授業は史学史なので、日本の歴史学研究者は過去の歴史をどう解釈してきたか、がテーマなのだ。だから「権門体制論」は決定的に大事なのだが、実社会では何の役にも立たない。
むしろ私が力を入れたいのはガセビアだな。結構「○○というのはガセ」というのが多い。その方が実生活では役に立つかも。
本題を忘れるところだった。
最近、学生のレジュメの受け取り方が露骨だ。あんなものはあっさりもらって、素知らぬ顔で出て行けばいいのに、「早く早く」という顔で迫ってきて、ひったくるように受け取ると、そそくさと出て行く。もう少しデリカシーを持ってくれないかな、なんて思うのだ。何せ人格者なもので、小学校時代の道徳の授業で習った「人のいやがることをすすんでしましょう」というのを実行したくなるのだ。だから半分をプレゼンテーションソフトでつくって、モニターに出力、半分をプリントということにしようと考えた。
早速つくってやってみたが、大分の大学のモニターに出力できない。あきらめてパワーポイントでつくったプレゼンを手書きで黒板に出力してみた。デジタルでつくってアナログで出力する。最先端だ。
ちなみに学生から「できますよ」と声が飛ぶ。「いや、マックだからか、できひんねん」と返す。「インテルマックやし」とか。絶対にうそだ。原因はマックだからではない。私の頭が悪いせいだ。間違いない。