倭寇は日本人か

倭寇は日本人か、という議論が結構ネット上でも議論されている。
そもそもそういう議論が出てきたのは1987年のことだ。田中健夫氏と高橋公明氏がそれぞれ前期倭寇と呼ばれる13〜14世紀の倭寇の構成員に多くの高麗人が混じっていた可能性を主張したのだ。1996年には浜中昇氏と李領氏がそれぞれ倭寇=高麗人主体説を批判し、現在通説となった見解は存在しない。一つだけはっきりしているのは「李順蒙上言」をそのまま使用するのは、問題が多い、ということだ。これを何の検証もなく証明に使っている「史論」に関しては、眉に唾を付けた方がいい。他の議論でも同レベルの可能性が高いからだ。
ちなみに「倭寇は日本人か」という議論を扱う際に忘れてはならない論者の一つとしてImmanuel Wallerstein(イマニュエル・ウォーラーステイン)を挙げておきたい。
倭寇研究の基本は、国家の枠組みを超えた人々のつながりを追究するところにある。「倭寇的状況=諸民族雑居状態」論の提唱や「倭寇世界」の提唱はその現れだ。それが80年代に活発に行われ、その一つの帰着点が田中健夫氏と高橋公明氏の議論である。その前提を忘れ去って、「倭寇は日本人ではない」という言葉だけ捕まえて論じるのは、あまりにも軽々しすぎる。
倭寇的状況」論を検討する際にウォーラーステイン世界システム論の視角はやはり外せない。
そもそも従来の歴史研究が「世界史の基本法則」という形で一国史的な枠組みで研究を進めてきたのは紛れもない事実であり、全ての国家が「原始共産制→古代奴隷制封建制→資本制→共産制」と進むと信じられてきたのだ。このうち「共産制」を外すと、現在主流となっている歴史認識になるであろう。そこでは「発展途上国」は「遅れている」のであり、「先進国」からの援助によってやがてゴール=高度な資本主義に到達すると信じられているのだ。しかしその図式に根本的な批判を呈したのが従属理論と呼ばれる考え方である。従属理論に従うと、「南北問題」は「発展途上国」が「遅れている」ことに問題があるのではない。「発展途上国」は「未開発」なのではなく「低開発」なのだ。つまり低い開発段階に押さえられ、「先進国」の原料供給地としての地位を強いられている、と考えるのである。そこでは現在の国家単位の歴史認識とは全く異なる図式が出される。つまり先進地域としての「中核地域」と、「中核地域」に原料を供給する「周辺地域」に分けられる。南北問題とは「中核地域」と「周辺地域」の問題なのだ。
この従属理論は主としてAALA地域の研究者によって研究が進められた。ウォーラーステイン自身アフリカ研究に従事していたことがあり、従属理論の図式を受け継ぎながらも、従属理論を発展させた「世界システム論」を提唱している。従属理論に比べて「複合状況」(コンジョンクチュール)という概念と「包摂」(インコーポレーション)という概念を使いながら、より動的に世界が中核地域と辺境地域に分けられていくさまを描き出した点が、ウォーラーステインの特長となっている。
そのような議論もふまえずにそもそも「倭寇とは日本人か」という問いを設定すること自体が、はっきりいって無意味だし、ただの政治的プロパガンダに堕してしまうのだ。
と言うわけで冨平さんの疑問である、私のHNのWallersteinの読み方についてお答えするついでに、どうでもいいネタを書きました。ちなみに全く常識ではありません(笑)。