大学で学ぼうとすること

大学での講義に何を期待するだろうか。自分の今までのパラダイムを壊し、新たな見方を示せること。私の場合それだった。私はかなり頭の固い頑固な人間で、どちらかといえば既知の事象を再確認することが好きである。そのほうが圧倒的に楽だからだ。しかし大学の講義ではそれではいけない。職務怠慢だ、というわけで、精いっぱい今までのパラダイムを崩すような講義を心がけている。あまりに専門に立ち入っても、私が主として担当するのは一般教養なので、その辺はほどほどにしなければならない。前にアップしたアイヌ史の一連のエントリはその意味で私の最も主要な一般教養での持ちネタだ。
しかし私もそうだが、思考力を使いたがらない面倒くさがりは既知のパラダイムを壊されることを嫌う。私も年を取り、仕事も忙しくなって、特にそういう傾向を強めてきたのだが、それは端的に言って思考力の老化である。40歳になったばかりで老化するのも情けない限りだが、若い頃にあまりまともにトレーニングしていなかったから仕方がないかも知れぬ。
大学生を教えていると、大学に彼らが何を望んでいるのかについて二通りの姿勢が見えてくる。一つは自分の知らないことを知りたい、という学生。もう一つは自分の既知のスキームを大学で再確認したいという学生。特に最近増えているのが、後者のタイプだ。多分昔からいたのだろうが、最近は既知のスキームを容易にネットで得られるだけにネットからの知識を再確認したがる学生が増えている。そういう学生にかかると私の講義などは「自分だけが正しいと思っている」とくる。あるいは「唯我独尊」とか。さまざまな検討の結果自分が正しいと思う結論を述べているわけであって、当然自分の説が「正しい」と思わなければ、それは欠陥商品ではないか。