なぜ世界史をやるのか(別に日本史でもいいけど)

履修漏れ問題でワイドショーで語られる言葉がめちゃくちゃである。「役に立たない受験勉強」というフレーズが一つ覚えで出される。確かに覚えたところですぐに忘れるものだから意味がない、という言葉は説得力がある、ように思える。しかしそれを言い出せば、そもそも大学自体が必要ではなくなるだろう。教養そのものがすぐには役に立たないことの集積だからだ。極端な話、過去の歴史がどうであったか、等ということは必要がない話だ。あくまでも愛国心涵養とか、革命のための指針とかに利用されるための歴史にしかならなかったりする。戦前は愛国心涵養、戦後は革命のための指針だったのだ。しかし歴史学の存在意義はそんなものであろうか。それでは愛国心涵養や共産主義革命に当面役立つものだけを拾い出してきて、それ以外の歴史にはレッテルを貼り付けて否定するだけですむ。それには知的営為はいらない。戦前の皇国史観終戦直後の国民的歴史学運動は知的営為を否定し、実践に走ることが要求されていたのである。今、テレビで語られている教養否定論に、皇国史観や国民的歴史学運動に相通ずる響きを感じてしまう。