敷島の大和心解説

前回も書いた通り、吉田中佐というのは故豊田穣氏の創作したキャラクターである。吉田中佐が必要とされた理由をここでは考察したい。
吉田中佐が果たした役割は菅野直大尉が特攻に強い思い入れを持っている、ということを表すことである。しかし実際に菅野大尉が特攻隊の悪口を言われてキレたという事実は今のところ見いだせない。むしろ菅野大尉は特攻隊にはかなり消極的であったようで、「自分は行く。自分を差し置いて他の隊員を行かせない」と言い続けていたようだ。結局菅野大尉の列機で特攻に赴いたのは菅野大尉が留守中に志願させられた隊員だけだったようだ。343空になってからはもちろん343空自体特攻とは無縁だった。一度打診があったが、結局志賀少佐の反対意見を受け入れる形で特攻は見送られている。志賀少佐が特攻隊に反対した内容はほぼ連載物の中で引用した通りである。菅野自身「関は雄々しくフィリピン沖に特攻攻撃をかけて散った行った。しかし僕(菅野は親しい友人には俺といわずに僕といった)は特攻はかけない。敵を攻撃し、絶対に生きのびて反復攻撃をくり返す自信があるよ」と語っていたり、久しぶりに再開した友人に特攻への批判を口にしていたりしたらしい。しかしその友人はすでに特攻に志願した後で、菅野大尉に言えなかった、ということであるが。
豊田氏の小説の中ではその死にあたっても「死」に執着を持っている人物として描かれる。菅野大尉の強気な先方も、最後の「壮絶な」死に方も「死に場所」を探している姿として解釈される。しかし実際には菅野大尉は「死」の影をほとんど持っていなかった人物だったようだ。
菅野大尉は終戦直前の八月一日、B24迎撃に飛び立った菅野大尉の飛行機が主翼破損の損害を受ける。原因は翼に装着している20mm機銃の弾丸が暴発したことである。豊田氏の小説『新蒼空の器』所収の「春の嵐」では菅野大尉は「鴛淵先輩のところに行くんだ」とあくまでもB24に向かおうとして、しかし力尽き、空中分解するとされている。しかし実際に菅野大尉の掩護を務めた堀兵曹長の回想では少し異なる。「われ機銃筒内爆発す」という無線を受けた堀兵曹長が菅野機を見つけると、菅野大尉は「しまった」という顔をしていたという。そして菅野大尉はB24を指さす。あくまでも攻撃続行せよ、という意味である。しかし堀兵曹長は「頑是ない子供を『よし、よし』とあやすように、大きく二、三度うなずいて見せた」。指揮官機を失うのは列機搭乗員の大きな恥と考えていたからである。すると菅野大尉は「飛行眼鏡の中から、キッと私を睨みつけている。完全に怒りだした表情である。私は、少し前、大村の料亭でいくらかの酒が入った隊長が、どこかの隊の軍医少佐と口論になり、ついポカポカなぐりはじめた様子を思い出した。それならば隊長の命に従うより仕方がない。私はバンクしながら目礼を送った。怒った隊長の顔がやわらいだ。思えば、このとき隊長の顔を見たのが最後となったのであった」ということである。どこにも菅野大尉が死に場所を探していたとは思えない。さらに直後に「空戦ヤメ。アツマレ」と指令が入る。すぐに堀兵曹長は菅野大尉との集合場所であった屋久島上空に向かうが菅野大尉の機の姿は全くない。結局菅野大尉は行方不明となった。菅野大尉が戦死と認定されたのは敗戦後である。
菅野大尉はそもそも撃墜されたことがある。343空の初期の松山時代である。エンジンに銃を受けて撃墜された菅野大尉はパラシュートで脱出し、顔面にやけどを負ったという。着地すると赤い顔面のためにアメリカ兵と間違われたが、結局日本のパイロットとわかり、大歓迎を受けていたという。
仲兵曹がB29と衝突してしまったことがあり、B29を撃墜できたものの、仲機も墜落、仲兵曹は帰還できたが、菅野大尉から「我が隊は体当たり禁止だ」として三日間の飛行停止処分を受けたという。体当たりに対する菅野大尉の嫌悪感がうかがえるエピソードだ。
菅野大尉の意外な側面をうかがわせるエピソードは他にも色々ある。