私が主人公だ補遺

ブクマされたおかげで色々なご意見を目にすることができたので、少し補足をば。
まず「要らんこと言わんでええ」について。生徒の蘊蓄を話させない、ということだが、これを放置すると起こり得る事態を一つ。生徒の蘊蓄は結構なことだ。これで活発な授業ができるならばなおよい。そう安易に考えて教育現場に臨むと、待っているのは次の二つ。授業崩壊と保護者からのクレーム。
生徒が蘊蓄を述べた時。それが時宜を得ていればよい。あくまでもこちら公認の内容をやってくれる分には文句を言わない。しかし多くの場合、授業から勝手に脱線している。時宜を得た蘊蓄を述べられるのはある程度の高学年になってからだ。低学年の蘊蓄話を放置すると、誤ったメッセージを生徒に送ることになる。自由に発言していい、というメッセージだ。生徒は次々に自分のいいたいことを言い出す。しかもそれが善だと信じているから、タチが悪い。実際いい大人でもそう信じている純粋な人々がいるようだが、教育現場に少しでも責任ある立場でコミットメントしていれば、そういうのは幻想であることがわかるはずである。収拾がつかなくなり、授業崩壊。それを押しとどめようと、自由な発言を規制しても手遅れである。「○○君は発言できたのに、僕が発言したら怒られた」と保護者に報告する。えこひいきというクレームが殺到する。これが教育現場の現実である。
手を挙げずに発言することを容認する意見について。今は自分の思ったことを周囲も顧みずに発言することが正しいという価値観が主流派なのだろう。もしそうだとすれば、現在公教育で行われている集団指導はもはや効果はない。正しいことであっても手順を踏んで発言することが集団で動く場合のルールである。そのルールを身に付けさせることが、集団指導を成功させるための必須の要件である。しかし今、そのルールは時代遅れのものになりつつあるようだ。そしてルールが崩壊したところに今、何が入り込んでいるかはいうまでもあるまい。
補足。私自身大学院を出るまでは規律なんぞ大嫌いだった。行儀がいい、と評判の生徒だったはずだが、びびりだからだ。規律や他人の顔色などくそ食らえ、特に秩序は大嫌いだ。今でも嫌いだ。秩序を保て、という政治家や言論人を見ると、胸くそ悪い。だからサヨクをやっているわけだが、実際に教育現場に立つと、思想が変わる。自分でも苦笑する他ない。いや、私は保守的な人間だ。これは昔から意外と指摘される。自分ではバリバリのサヨクのつもりで、ジェンダーフリー論者で、反権威主義、反管理主義を標榜しているのだが、周囲の人間の私を見る目は少し違うようで、反ジェンダーフリーで、権威主義で、管理主義と思われているようだ。確かにそういう側面があるかも知れない。と思って、上記の文章を見直すと、唾棄すべき管理主義者だな。20代の私だったらこういう教師、最低だと思っているだろうな。殴り倒したい、と思うかも知れない。ちなみにサヨクであることと、権威主義であることは矛盾しない。権威主義サヨクっていくらでもいるしな。