日本史教育の実態

大学における歴史学研究の成果と学校教育における歴史教育の乖離というタカマサ氏の抱かれる懸念「http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1508」は私も何回か耳にした。実際それは当然感じるところであるし、ことアイヌ問題に関しては学校の現場でもほとんど行われていない、ということも事実である。あまりにも遅い、という声はよく言われる。私としては自分のできることをやるしかないわけで、私に出来るのは大学における一般教育なり教職科目なりでできる限りアイヌ問題を講じていくよりない。私個人の換装だが、アイヌ問題をめぐる事情は、私が歴史学研究へ第一歩を踏み出した20年ほど前に比べると格段に進歩している。中曽根発言以前はどうもアイヌ問題は日本史の問題ではない、という発言が左右問わず行われていた、という。中曽根発言以降、北海道に関するシンポジウムも定期的に開かれ、また国際先住民年の関係もあって、研究は着実に進歩しているし、学生の意識も変わっているように思える。少なくとも20年前の私自身の受けた歴史教育とは格段の違いがある。もちろん課題も多いし、別の問題も生起しているし、あるいは時計の針を逆に戻そうと言う動きもあるのも事実だが、アイヌ琉球をめぐる歴史学研究あるいは歴史教育のレベルに関しては私はそれほど悲観していない。私の教育実践は私自身の感触を言えば、私の突出した事情ではなく、むしろ現在のアイヌ問題をめぐる問題の一定の前進があるのではないか、と思っている。
私が現在危機間を覚え、また実際に教育的実践がうまくいっていない、と感じるテーマがある。モンゴル戦争をめぐる問題である。私がアイヌ史を大学で講じ始めたのが10年前で、モンゴル戦争を取り上げたのは7年前になるが、その間アイヌ史に関する認識はこの間進歩しているように思う。学生の知識や関心は意外とあるようだ。しかしモンゴル戦争に関する認識は明らかに後退している。その原因も明らかである。
アイヌ史に関する無知は厳然として存在する。しかしそれは無知であることを自覚しているケースが多く、無知であり、またそのことを自覚しているからこそ、意外と講義内容をしっかりと吸収する。多いパターンとしては当時の自分の無知と自分の到達地点を比べて論じてくれるパターンが多く、それを読むのは非常に楽しかったし、私自身得るところも多かったと思う。
モンゴル戦争に関する「無知」はそういう問題ではない。自分の「無知」を自覚しないケースが多いのだ。自分ではそれなりに知識を得ているつもりになっている。そうなるとこちらの提示する知識を吸収し、自分のものにしていく過程がそもそもない。モンゴル戦争に関する限り、けっこう多くの学生が、自分の既知の知識を再確認する場として大学を認識していることを感じる。
今回私がアンケート結果にいささかびっくりしたのは、アイヌ問題に関する講義において、モンゴル戦争に関する講義と同様の意見が出てきたことだ。その意味でタカマサ氏の懸念は非常に切実であるのは私にも感じられる。
私は今年からしばらくモンゴル戦争問題に真剣に取り組もうと考えている。私に出来ることは極めて限られているが、さしあたり近代における「元寇」認識の成立過程をじっくり検討し、大学で講じていきたいと思っている。
塾の方ではこういうことはできない。あくまで受験対策でしかない。受験に出ないことを教えるわけにはいかないし。できることは、真のリテラシー能力を身に付けられるような授業をしていくことか。国語対策にはそれが一番だ。