「集団自決」問題の備忘録

福田康夫総理の発言。

随分たくさん集まったね。沖縄県民の気持ちは、私も分かりますよ。
まずは文科省でどうするかだ。私から言う立場にはない。

町村信孝官房長官の発言。

時々文科相がこういう検定意見をつけろと揺れ動くこと自体が、検定制度の客観性、信頼性を失わせる。政治の立場からものを言うべきではない基本はある。
全く軍部がかかわらなかったとは誰も思っていない。沖縄の皆様の気持ちを政治家として受け止める。
訂正、修正できるのか、関係者の工夫と努力と知恵がありうるのかもしれない

政治によって検定が左右されるのは確かに問題で、その点を配慮して町村官房長官は「政治の立場からものを言うべきではない基本はある」と言い、、福田総理は「私から言う立場にはない」と、慎重な言い回しに終始しているが、官僚のやったことに一切介入ができない、というわけでもない、ということで町村官房長官も「関係者の工夫と努力と知恵がありうるのかもしれない」と慎重な言い回しながら、検定見直しに言及した。
確かに政治が下手に検定に介入すると、大いにまずい点はある。一方で官僚の行為に政治家が一切口出しできない、という形も問題で、その点をどのように運用するのかが難しいところだ。少なくとも検定官に関しては、特定の学閥から選任するのはまずい、ということは言えるだろう。大学の人事も特定の学閥に固まりすぎないようにさじ加減を求められているところでもあるし。
天木直人氏のブログ(「amakiblog.com - このウェブサイトは販売用です! - 政治活動 リソースおよび情報」)より。

政府は渋々ながら「軍の強制」を認めざるをえなくなった。11万人の沖縄県民の怒りが政府を動かしたという事だ。被害者の気持ちを軽く見るとしっぺ返しを受けるということだ。
  私は10月1日の朝日新聞、「この人、この話題」の中で、昭和史を聞き語りしているノンフィクション作家保阪正康氏の次の言葉を思い出した。
 「・・・侵略した側の行為は兵士しか記憶をもっていないが、侵略された側では幼児にも記憶が残っている・・・」
  素晴らしい言葉だ。我々の国と近隣諸国との間で歴史認識をめぐるギャップが存在し続けるのは、この視点が我々に欠落しているからだ。我々には加害者意識が希薄すぎる。被害者の痛みにあまりにも鈍感になってしまった。
 沖縄の教科書問題はその事を教えてくれた。