バス営業所

今回の「昭和の鉄道模型をつくる」はバス営業所。掲げてある看板には「野原交通」とある。駅前にバス営業所があるのだから、系列だとすると、鉄道も野原交通ということになるのか?結構いい名前なので「野原交通」の名前、もらっちゃお。というわけで、架空鉄道は「野原交通」。
結局架空鉄道もそうだが、レイアウトにしても、ある程度の思い入れがないと中々モチベーションにはならない。私の場合、長電2000にどうも思い入れが強かったようだ。今長電2000の中間車をはずした2連で走らせていると強く思う。
理由はおそらく高校の時の修学旅行だろう。長野県にいった。一泊目は白樺湖、二日目は軽井沢、鬼押出を経て志賀高原に。そこで2泊。というスケジュールであった。長電2000を一瞬だけ帰りがけに通った湯田中で見た。その印象だけだが、強く印象に残っていたのだ。考えれば初めて作ったキットのプラットホームはGM製のローカル風プラットホームだが、その駅名に「高天原」を入れたのは、私がウヨクだからではなく、志賀高原の地名からとったからだ。まあ志賀高原を走る鉄道を考えていた、ということだ。それから15年たった1998年にも長電2000を見かけた。冷房化され、塗色も変わっていたが、やはり心引かれた。ただ善光寺に向かうだけだったので乗ったのは3500系だったと思うが。帰りは歩いて長野駅に戻ってきたので、行きも歩けたわけだ。
もっとも信州への憧れに火をつけたのは、鉄道模型趣味の増刊号のプレイモデル誌の第2号(1979年冬)に掲載された「咲花駅セクション」である。大糸線南小谷駅をモデルに造られたこのセクションから大きなインパクトを受けたのである。