後件肯定

私はおつむが弱い、の続編。高校2年生の基礎解析のテスト直前、ツッパリ君(要するにヤンキー)から質問された私だったが、私のほうが分かってなくて、結局ツッパリ君から教えてもらったのだが、その時の彼の反応が「お前、大丈夫か?」だった。私は「まあ、何とかなるんとちゃうか」と答えておいた。「お前、アホかカシコ*1かわからんな」と言われた。彼は間違えている。私はアホなのだ。彼は欠席が多く、単位が危なかったのだが、私は無遅刻無欠席で赤点*2をとった実績がある。高校一年生の数1で中間テストで五点を取って、気合いを入れて臨んだ期末テストで16点をとったのだ。ちなみに基礎解析では17点だった。ただ平均点が13点だったので助かった。
論理的な思考力が足りないので、おつむを鍛えるために論理学のお勉強。ちなみにヘキサゴンの速度クイズ、0.4時間が何分か分からなかったのだが、私と同じ考え方をしていたタレントがいた。その名は時東ぁみ氏。今までよく知らなかったがしっかり覚えよう。こいつも私と同じくらいオッペケペーなのか。里田まい氏はよく分かっていたようだ。私は里田まい氏以下である。里田まい氏は賢い、と思うことにしよう。小島よしお氏の解説を聞いて大変よく分かった。
閑話休題
後件肯定だ。まずはウィキペディア(「詭弁 - Wikipedia」)から。

後件肯定の虚偽(太字部分が詭弁)
A「対象についてよく知らないと人は恐怖を感じる。つまり、怖がりな奴は無知なんだよ
Aの発言は「XはYである。故にYはXである」という形式の論理であり、これは論理学で後件肯定の虚偽と呼ばれる。このタイプの推論も、前件否定の虚偽と同じように、XとYが論理的に同値の時にしか成立しないので、恒真命題ではない。Aの発言は、「シャチは哺乳類である。故に哺乳類はシャチである」という推論と同じ論理構造である。
仮に「無知だから怖がる」という前提が真であったとしても、その前提から「怖がりな人は無知である」と結論することは論理的に誤りである。怖がりな人は無知であるかもしれないし、無知ではないかもしれないからである。(逆は必ずしも真ならず)

後件肯定についても(「後件肯定 - Wikipedia」)。

後件肯定(英: Affirming the consequent)とは、形式的誤謬の一種。以下のような論証形式の推論をいう。
もし P ならば、Q である。
Q である。
したがって P である。
この形式は論理的に妥当でない。言い換えれば、この形式では前提が真であっても結論を導く推論の構造が正しくない。「後件肯定」の「後件」とは、大前提(条件文)の後半部分(上の場合、「Q である」)を指す。小前提は後件を肯定しているが、そこから大前提の前件(「もし P ならば」)を導くことはできない。

まずは例示されている文の分析から。

対象についてよく知らない(P)と人は恐怖を感じる(Q)。ー(前提)
彼は怖がりである。ー(後件肯定)
怖がりなあいつは無知なんだよ。ー(結論)

これは論理的に妥当ではない。前提である「対象についてよく知らないと人は恐怖を感じる」というのは真であるかもしれない。しかし怖がりだから無知とはならない。
ということでいいのかな?

*1:勉強できるヤツのこと。

*2:十段階の2