媒概念不周延の虚偽

時東ぁみ氏と同じ間違いを冒していた私であるが、一つだけ言い訳をすれば、私は0.4よりも0.5が大きいことは分かっていた。しかし一つだけ自己批判をすれば、私はああいう一種の緊張状況で該当問題を解いていたわけではなく、家でゆっくりとしながら解いていた。ああいう場では思考力は格段に落ちるだろうから、私がまともに思考力を働かせる余裕があるかどうかは極めて不透明だ。よって私のKO負け。
私は高校時代駿台の高校生クラスに通っていたのだが、何をどう間違ったのか京大クラスに通っていた。もっとも京都の駿台には京大クラスしかないようなものだから、当然と言えば当然だが。私は最初から二次試験に数学のあるところは考えてもなかったので、京大対策の数学の授業は休んでいた。その分少しゆっくりできる。しかし問題などを見て、共通一次にも役立ちそうな問題ならば顔出しだけはした。「時間割間違えたんけ」と冷やかされるのが通例だったが。数学の校内模試は一年間の総合得点が6点だった。
というわけでもないが、論理的な思考力がほとんど働いていない私のリハビリのための「詭弁学」。何か命名を間違えているような気もするが、まあいい。
今回は媒概念不周縁の虚偽。ますはウィキペディア(「詭弁 - Wikipedia」)から。

媒概念不周延の虚偽(太字の部分が詭弁)
A「頭の良い人間は皆、読書家だ。そして私もまた、よく本を読む。だから私は頭が良いんだよ」
Aの発言は「XはYである。ZもYである。故にZはXである」という形式の三段論法で、これは論理学で媒概念不周延の虚偽と呼ばれる。このタイプの推論は、XとYとZの三つが論理的に同値でない限り成立しないので、恒真命題ではない。Aの発言は「カラスは生物である。スズメバチも生物である。故にカラスはスズメバチである(あるいはスズメバチはカラスである)」という発言と論理構造が等しい。

そもそも「媒概念不周延の虚偽」って意味が不明。この名前を言う媒だけで噛みそう。十回言え、と言われたら絶対噛むだろうな。
とりあえず補足説明を同じくウィキペディア(「誤謬 - Wikipedia」)から。

媒概念不周延の誤謬 - 三段論法において媒概念が周延的でない。「全ての Z は B である。Y は B である。従って、Y は Z である」の場合、媒概念 B が周延的でない。

媒概念というのがよくわからない。まずは整理だ。

全ての頭の良い人間は読書家である(大前提)。
私は読書家である(小前提)。
従って私は頭が良い(結論)。

こう言われるとおかしいのはわかる。媒概念とはここでは「読書家である」のことだ。「頭の良い人間」(大前提)と「私」(小前提)との共通点(媒概念)は読書家である。しかし「読書家」であることと頭の良いことは同値ではない。つまり読書家全てが頭が良いわけではない。「読書家」という媒概念は大前提に於ては不周延である。したがって「私」が「読書家」であっても、「私」が「頭が良い」ことにはならない。ということでいいのかな?