誤った二分法

代数幾何、大好きか?」「代幾なんて大嫌いや」というネタを高校2年の時に言っていたが、マジで嫌いだった。中二の時のユークリッド幾何学は好きだったのだが、高校になると代数が苦手なのか何なのかよく分からんが、代数幾何が苦手だった。基礎解析も十分苦手で、ツッパリ君に呆れられたものだが、そもそも代数と幾何って何の関係があるんだ?ちょっと何言ってんのかわかんないです。特に行列が分からない。何で数学に行列が出来るんだ?行列の出来る法律相談所か?大阪府知事選に出る、某弁護士批判なら以下ry。ちょっと何言ってんのかわかんないですね。その時の焦りは最近まで私の見る悪夢の中核だった。思考力が欠落していたんだろう。
というわけで(意味不明)、「誤った二分法」。
まずはウィキペディア(「詭弁 - Wikipedia」)から。

誤った二分法(false dilemmma)
A「君は僕の事を『嫌いではない』と言ったじゃないか。それなら、好きって事だろう」
Aの発言は、「Xは必ずYかZのいずれかである。然るに、XはYではない。故にXはZである」という形式の三段論法で、仮に「Xは必ずYかZのいずれかである」という前提が偽であるなら(言い換えると「XがYでもZでもないケースが存在する場合」)、このような推論を「誤った二分法」と呼ぶ。「誤ったジレンマ」またはただ単に「二分法」とも呼ばれる。英語では false dilemma の他に false dichotomy、excluded middle、bifurcation などとも言う。ここでは「好きでも嫌いでもない」や「無関心」などの「好き」「嫌い」以外の状況も考えられる。
尚、「XはYかZのいずれかである。然るに、XはYではない。故にXはZである」という推論において、非ZがY、Zが非Yと論理的に同値である場合、それは矛盾原理および排中原理に従った恒真命題となる(例「あらゆる自然数素数素数ではないかのいずれかである。2は「素数ではない」ではない。故に2は素数である」)。

これはおつむの弱い私でも一応分かる、ような気がする。二分法そのものが悪いのではない。しかし必ずしも二分できないものもある。それを無理やりに二分するところに誤謬、もしくは詭弁が生じるのだろう。
Aの発言を三段論法に直してみよう。

君は僕のことを好きか嫌いかのいずれかである(Xは必ずYかZのいずれかである)。ー大前提(法則的に導き出される一般的な原理)
然るに君は私のことを嫌いではない(然るに、XはYではない)。ー小前提(目前の具体的な事実)
故に君は僕のことを好きである(故にXはZである)。ー結論

この例文は大前提が間違えている。したがって妥当ではないのである。
二分法が妥当であるのは、「非ZがY、Zが非Yと論理的に同値である場合」であるようで、「嫌いではない」が「好き」と、「嫌いである」が「好きではない」が論理的に同値であれば、妥当なのだ。現実には「嫌いではない」=「好き」ではないし、「嫌いである」=「好きではない」でもない。したがってこれは間違えているのだが、完全に二分できるつまり「非ZがY、Zが非Yと論理的に同値である場合」は妥当である、ということだ。上の例文で言えば「素数ではない」ではない、ということは「素数である」と同値であり、「素数ではない」ということは「素数である」ことはない、と同値なのだ。意味分からんな。漫才のネタになりそうだ。