『昭和の鉄道模型をつくる』の構想

『昭和の鉄道模型をつくる』でのリンクが一番多い今日この頃、今私に一番期待されているのはどうやら『昭和の鉄道模型をつくる』(以下『昭和』と略称)関連記事のようだ。まあ順調に進んでいるのだが、『昭和』はテレビCMでも明らかなように団塊の世代向けである。テレビCMではかなりの年配者が「ほしかったんだ、あのころ」と言っている。私にとっては「ほしかったんだ、あのころ」ではない。Nゲージ全盛で、一種のブームにすらなっていた。1970年代末から1980年代初頭の話である。私は小学校高学年から中学校の時分、当然のごとくNゲージをやっていた。しかし団塊の世代の人は当時30歳前後、熱烈な鉄道ファンでもなければ、すでにNゲージをやるほどの熱意もなかった。
『昭和の鉄道模型をつくる』がターゲットにしたのは団塊の世代で「ほしかったんだ、あのころ」とつぶやく人々、つまりそれほど熱烈な鉄道模型ファンではない人々である。だからか、少し世代が下がると、あまり実感がなくなる。団塊の世代にとっての「懐かしい時代」を端的に表しているのが「3丁目の夕日」だろう。東京タワーができるころ。日本が高度経済成長に入る頃。『昭和の鉄道模型をつくる』でも1960年代という設定である。
しかしこれではこちらにとっては実感がないのだ。私にとって「懐かしい時代」とは1980年代。ディテールがかなり違う。例えば電車。『昭和の鉄道模型をつくる』に付いてくる電車はぶどう色2号。

しかしそんな電車ほとんど見たことない。客車ならあるが。実際にはブドウ色2号の電車は鶴見線宇部線小野田線などで90年代まで残っていたので、1960年代的ではないのだが、やはり60年代以降に塗替えが進む。同じ1031型ならば、鉄コレ第1弾の1031型の塗り分けの方がなじみがある、ような気がする。

さらに言えば少し欲張るとホームが短い。ストラクチャー(建物)の配置に少し不満がある、など。そこのところを少しずつ改善していこうと今思っている。ただポイントが一ヶ所しかなく、必然的にレイアウトにおける車両は1編成だけ。長電2000系か、とも思われたが、今は弘南鉄道モハ1121・クハ1611が中心。

最近少し気に入っているのが仙石線色のクモハ12002。

この辺はレイアウト映えもするし、少し古い街並みにもマッチしている感じがする。地方都市の繁華街の裏手をひっそり走る地方鉄道、というムードだ。17m級国電が地方鉄道に払い下げられるのは60年代末で、彼らの活躍が終了するのが80年代から90年代なので、レイアウトの細部をいじれば、結構色々な年代の風景を再現することができそうだ。17m級国電はキャラも立ちすぎていないし。富士急の旧国は少しキャラが立ちすぎかも知れない。

アクセサリー(小道具)としてKATOのジオタウンのアクセサリー群を使うと都合がよさそう。電話ボックスもガラス張りのものがあるし、自販機もある。自販機がある程度街に氾濫していないと、どうしても時代が古くなる。自動車も代えなくてはなるまい。逆に建物はそれほどいじらなくてもいい。バブル以前はああいう景観もそこここに残されていた。バブル期以降、現代の景観を復元したいのならば、どこかにコンビニでも作れば雰囲気は出るだろう。銭湯か平屋木造家屋の置いてあるあたりが有力な候補だ。裏通りはあれでいいと思う。少しシャッターを閉めれば疲弊した地方都市のイメージになるかも知れない。