武士道

朝日新聞の本日付け夕刊。
高橋昌明氏のコメントを採っている。

「素朴で剛健」という武士のイメージは、「華美で柔弱」という貴族のそれと表裏。だが、これは武士が貴族から政権を奪取した歴史を正当化し、武士の「貴族化」を戒めるため、江戸時代につくられたものだ

退廃的な古代ローマ社会をゲルマンの強壮な戦士らが打ち倒し、騎士らが支配する封建社会を経て近代社会が生まれるとの西欧の歴史像を日本にも見いだし、日本は西欧列強と同じ発展のみちすじをたどったと主張した。その影響は、現在の歴史学にも根強く残っている

戦後のマルクス主義史学にもそれは受け継がれ、特に石母田正の領主制理論はかなり西欧の封建制を意識したものであった。このような歴史学の「脱亜」的傾向については改めて論じ直すべきだが、とりあえず私の今の見通しを述べるならば、私が近衛基平にこだわるのには、高橋氏が指摘した武士と貴族の関係について再検討しようという意図がある。フビライの国書を受け取った時、貴族は受動的で硬直した対応しかできなかったのか、ということだ。鎌倉幕府に全面的に引っ張られ、公家政権は独自の外交政策を打ち出せなかった、というのが通説だが、すでに南基鶴氏が著書で述べているように、必ずしも公家政権は武家政権に追随するだけの存在ではなく、幕府とは異なった独自の外交政策を打ち出していたのではないか、と思うのだ。
朝日新聞の元記事は「利用された『武士道』」ということで、日本でもてはやされる「武士道」が明治時代に作られた虚構である、というのが眼目なのだが、それはある意味歴史学的には確定した事項であって、いわば確認事項にすぎない。