クモハ12

鉄コレのクモハ12にはクモハ12000とクモハ12002の2種類ある。いずれも元クモハ34であり、当初からの両運転台車両である。クモハ12000台は4両あり、更新工事が行なわれた工場によって2種類に分類される。
長野工場で更新工事を請けた000と001は1951年に大糸線に入線し、その後000は1959年に東海道本線の大垣ー美濃赤坂関ヶ原付近で運用され、1967年まで活躍した。その後伊豆箱根鉄道に払い下げられ、モハ66となった。当初は駿豆線で3両編成で使用されたが、1977年に大雄山線に転じ、両運転台であることから機関車代用として使われることが多く、1992年以降正式に機関車(工事用車両)としてコデ66と形式も変更され、1997年まで使用されたが、老朽化のため、コデ165(旧クモハ11109)と交代で廃車解体された。
クモハ12001は000が去った後も大糸線に留まり、大糸線の増結用や軽貨物牽引用に使われていた。1966年に霜取のためにパンタを増設し、青22号に塗り替えられ、1970年頃に沼津に転属になった。沼津では職用車代用として使用され、1983年に廃車された。
長寿を全うした000と001の長野工場コンビに比べると、盛岡工場で更新工事を受けた002と003は1967年に姿を消している。002と003は両運転台とも非貫通化され、後に短期間仙石線旧色の気動車色(クリーム4号と朱色4号)に塗り分けられた。鉄コレは002の、1967年頃の姿だろうとは思うが、貫通化された、との説もあり、はっきりしない。
クモハ12001は客用扉の窓の中心に横桟があり、さらに000と001共に更新工事の時に幌枠が付けられているので、鉄コレの000は、登場当時といいたいところだが、実際はどの時代にも対応しないものとなっているようだ。セミ・フリーということになる。もっともフリーとスケールについては、そもそも厳密なスケールでのレイアウトが極めて難しく、ほとんどフリーなので、フリーであることを気にしてはいけないのだろう。