倖田來未発言を少しだけ考えてみた

倖田來未発言、あれをどう見るか。私としてはあの発言はよくわからん、としかいいようがない。まあ「下手こいた」とは言えるだろうが。
一つの見方として日頃愛読しているパオロ・マッツァリーノ氏の見解(「http://www.daiwashobo.co.jp/mazzarino/080206.html」)を。あと二週間で消えるのでここにクリッピング

私だってあなただって、常識のウソをたくさん抱えてるはずです。そうとは知らず、他人に吹聴してることはじゅうぶんありえます。常識のウソは、永遠に語り継がれるのです。
 今回私がこんな話をしたのは、倖田來未(こうだくみ)さんの「35歳で羊水腐る」発言に端を発した騒動に大きな疑問を感じたからです。世間ではあれを倖田さんの舌禍(ぜっか)事件みたいにして、彼女ひとりを罪人扱いです。
 あのウソ常識は、倖田さんが考えたものなんですか? おそらく違いますよね。だれかから聞いて鵜呑(うの)みにしてたのでしょう。つまり、日本中で長年にわたって、根も葉もない珍説を吹聴して相手を不安に陥れてきた人たちがたくさんいる、と見るべきです。今回の件ではむしろ、羊水は腐らないとわかって安心した人も多いことでしょう。
 自分が信じていた知識が常識のウソだったとわかったら、改めれば済むことです。新たな発見でそれまでの科学常識が覆ることがありますけど、そのたびに、旧説を支持してた科学者は活動を自粛(じしゅく)しないといけないのですか? ましてや芸能人が仕事や宣伝活動を自粛しなきゃいけない理由などありません。
 ちなみに私は倖田さんのファンではありません。他人の無知をおおげさに糾弾(きゅうだん)して教養人を気取ってる連中が嫌いなだけです。

一つの見方ではある。要するに倖田來未発言は「無知」のなせるわざ、という見解。基本的に「トンデモ」というのは「無知」に起因することは事実だ。
私にはあの一連の動きはどう考えても「本音垂れ流し言説」の終焉を意味するもののは思えない。倖田來未発言は「本音垂れ流し」というよりは「トンデモ」を無邪気に信じる「無知」の問題であるように思えるのだ。むしろ倖田來未氏を追い込んだネットの動きの方が今の言論状況を暗示しているのではないだろうか。