鎌倉時代人と現代日本人

タカマサ氏のブログ(「タカマサのきまぐれ時評2 鎌倉時代の列島住民≒現代日本人って情報がそんなに重要か?」)経由。
元記事はこちら(「http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200802210093.html」)。
元記事を要約すると次のようになるだろう。

今日の日本人は、古くから列島に暮らしていた縄文人に、大陸から渡ってきた弥生人が合わさり誕生したと考えられており、両者の融合はいつごろから進んだのか、という日本人の形成をめぐるなぞに、遺伝子の面から一つの回答が示された。鎌倉時代に関東地方に住んでいた人々のミトコンドリアDNAの特徴は現代人とほぼ同じだというのだ。これまで「顔立ちが独特で不可解な存在」とされてきた中世人。その成り立ちが最新の科学技術によって見えてきた。鎌倉時代の鎌倉に日本人が住んでいた――一見当たり前とも思える結論だが、人類学において中世人は顔立ちの違いから不可解な存在だとされてきた。その違いをめぐり議論が続き、縄文人に似ているとして、縄文人の子孫ではと主張する研究者もいたが、古い時代から現代まで列島の人間は遺伝的に連続している可能性が高いことが今回の研究から裏付けられた。DNAは、私たち日本人とは何なのかということを考える切り口になるはずである。

コメント欄では「科学や実験を否定してもしょうがないですよ。分かりきった事や常識的な事を丁寧に調べるのには意味があると思うんですが。」とネットウヨク氏から意見があり、それに対してタカマサ氏は「このDNAうんぬんの研究は、日本人の連続性というイデオロギーを証明したいという欲望ぬきには、説明がつきません。かりに、この研究が後世やくだつことが立証されたにしても、そういった学術的価値と、現在研究を推進させている、あるいはそれを支持する欲望とは、別個の問題です。」と返している。
結論から言えば、この研究そのものの学術的価値は、鎌倉時代の鎌倉在住の人のDNA構成が縄文人でも弥生人でもなく、現代日本人に類似していることを示したことにある。しかしこの結論からだけでは「私たち日本人とは何なのかということを考える切り口」にはならないし、「日本人の成立がもう少し具体的に語れるようになる」ようにもならない。東北と北陸のDNA構成が分かってもそれは同じである。鎌倉時代の人々のDNAをいくら集めても「私たち日本人とは何なのか」ということは考えられないし、「日本人の成立」も語れない。「日本人とは何なのか」という問題は鎌倉時代の人々のDNAをいくら詳細に集め、分析し、1000年間「科学的な実験」を積み重ね、丁寧に調べても結論は出ない。なぜか、といえばそもそも「日本人」というのは一つの定義であって、実体ではないからだ。
分かりやすい比喩を挙げれば、鎌倉幕府の成立はいつか、という問題がある。史料をいくら詳細に収集し、それを検討しても鎌倉幕府の成立は何年なのか、という問題には結論が出ない。なぜなら論者によって「鎌倉幕府とは何か」という定義が異なるからだ。「鎌倉幕府」と言う実体があったわけではない。後世の人々が源頼朝の樹立した支配機構を「鎌倉幕府」と定義しているに過ぎない。従って何を以て「鎌倉幕府」と定義するかによって「鎌倉幕府の成立が何年なのか」という問いに対する答えは変わってくるのだ。詳しくは「2005-04-22 - 我が九条」を参照。
「日本人」というのもある意味「定義」である。従って「日本人」について調べる前に「日本人とは何なのか」を定義しなければだめなのだ。従って「DNAは、私たち日本人とは何なのかということを考える切り口になるはずだ」」という篠田謙一氏の議論は逆立ちしているのである。「日本人とは何なのか」を定義してからDNAを分析しなければならない。
中世史研究の立場から見た「日本人」についてもう少し考えてみたい。