備忘録

今いいことを思いついたような気がする。一晩経てば屑みたいなものかもしれないが。
「異国征伐」は明らかに「御家人」の範囲を広げる活動である。「異国征伐」という「有事」を梃子に非御家人御家人に取り込もうという動きもありそうだ。「異国征伐」のための守護職交替で塩田義政や金沢実政など、どちらかと言えば「統治派」に属する人々が多く補任されているのは、「異国征伐」を遂行した人々の背景がわかりそうだ。網野善彦氏は頼綱派と泰盛派にどちらが主戦論でどちらが防戦かわからない、としていたが、何となくわかりそうな気がしてきた。問題は「異国退散」ということで「有事体制」を解除しようとした亀山院政と「異国征伐」を推進することで「有事体制」を維持しようとした泰盛派との軋轢をどのように解釈するか。亀山院政における徳政興行を「東西相携えて」行われた、という側面もあるだろうが、同時に徳政の施行によって張りあう側面もあったのではないだろうか。亀山院政と泰盛の間にも協調と競合の微妙な関係があった、とも考えられよう。
この備忘録が屑ではありませんように・・・。というわけで寝る。