文永4年(1267)12月10日「六波羅御教書案」 『東大寺文書』(『鎌倉遺文』9817号)

十一月二十八日までに上洛して六波羅探題に出頭せよ、と言われた伊藤行村。しかし出頭しなかったようで、六波羅探題はお怒りの様子。
本文

東大寺美濃国茜部庄雑掌申押妨所務抑留年貢由事、別当僧正御文(副重解状・具書)如此、両度遣召文之處、捧自由請文、于今不参之条、太無其謂、明春正月中、可参決之状如件
文永四年十二月十日  散位 在御判
           左近将監 在御判
地頭代

今まで一所懸命に提出した請文も「自由請文」と秒殺されてますw。「自由」の使い方は以前に論及したように、よい意味には使わない。フリーダムの訳語として「自由だー!」というのは問題がある、という議論もある。
読み下し

東大寺美濃国茜部庄雑掌が申す、所務を押妨し年貢を抑留する由の事、別当僧正御文(副重解状・具書)此の如し、両度の召文を遣わす之處、自由の請文を捧げ、今に不参の条、太(はなはだ)其の謂れ無し、明春の正月中に、参決すべしの状件の如し
文永四年十二月十日  散位(時輔) 在御判
           左近将監(時茂) 在御判
地頭代(行村)