北条時輔関係史料 文永6年(1269)7月25日「六波羅挙状」『深堀家文書』(『鎌倉遺文』10463号)

一連の騒動はあっさり解決(当然氏の見解そのものには私もいろいろ意見はある。しかしそれは私ももう少し勉強してから言及するかもしれないが、勉強した頃にはとっくに終結してしまっている、に1000点)。まあ私の誤爆に基づくブクマが発端なのでいささか心苦しいが。「あたまがわるい」タグは安直に使うべきではないな、と反省した。多分また無責任に使って後悔するのは目に見えているような気もするが、自戒しよう。
専門家というのは、自分の専門にはそこそこ(←ここ大事、忘れてた)自信があるが、それ以外にはほとんど通じていないことも多々ある。もちろん歴史学の専門である私が、史料を読むしか能がなくては歴史学研究者はつとまらない。自分の関心領域に応じてそれ相応の知識を身に付ける必要がある。経済学なんてのはその代表例だが、私は数学が極めて怪しいので経済学を忌避した。私がサヨクにもかかわらず、その歴史叙述においてはほとんど階級闘争史観的な叙述を行わないのには、数学アレルギーがあったりする。近代の経済史の論文なんて読んでいてもちんぷんかんぷんである。私は知らない話に首を突っ込まないようには自覚しているつもりだし、自分の知らない話に関しては虚心坦懐に理解するように務めている。知らない話を持ち出されて「こんなことも知らないでお前は論じているのか」と言われれば、そこは虚心坦懐に教えを請うて、自分の見解に誤りがあれば学んだ成果を生かして修正するように努力すればいいし、自分の見解を改める必要がなければその旨論駁すればいい。
話が拡散するので前回の続き。とは言っても、全く関係のない文書。前回は新補地頭深堀時光と本補地頭戸町氏の相論があったのだが、北条時輔の署名の六波羅御教書にはその後の話は出てこない。どうなるのかは気になる所だが、面倒なので調べない。一応ネタバレしておくと、領家職の仁和寺が介入して深堀氏の所領が確定するようだ。戸町氏も深堀氏もその後ずっと続く。
これは六波羅探題が侍所に提出した挙状。ようするに報告書。大分前にみた「文永4年(1267)5月30日「六波羅請文」 『神宮文庫所蔵山中文書』(『鎌倉遺文』9716号)」や「文永4年(1267)5月30日「六波羅御教書」 『遠江山中文書』(『鎌倉遺文』補遺3、1604号)」と同様の文書だが、ここでは「挙状」(キョジョウ)とある。佐藤進一『古文書学入門』には出ていないので、『古文書用語辞典』をチェックすると、あった。「下位の者から上位のものに奉る文書を取り次ぐときに添える文書」ということである。
本文。

深堀太郎跡大番役内、左衛門太郎時光分一箇月(自五月□至六月□)於五条内裏西対南妻、令勤仕候畢。以此旨、有□披露候。恐惶謹言。
 文永六年七月廿五日  散位平時□
            陸奥守平時□
進上 平左衛門尉殿

読み下し。

深堀太郎跡大番役の内、左衛門太郎時光分一箇月(自五月晦日至六月晦日)五条内裏の西対の南妻に於て、勤仕せしめ候おわんぬ。此旨を以て御披露有るべく候。恐惶謹言。
 文永六年七月廿五日  散位平時輔
            陸奥守平時茂
進上 平左衛門尉殿(平頼綱

出ました。平頼綱御内人のトップで「内管領」と呼ばれた頼綱は、北条時宗の被官のトップで、事実上得宗権力を遂行する立場にあった。時宗外戚で、北条時頼北条重時の政治姿勢である「統治」つまり「雑訴興行」などの「撫民政策」を遂行していたグループのトップであった安達泰盛とは鋭く対立していた。平頼綱の立場を本郷和人氏は『新・中世王権論』において「御家人の利益派」と整理、泰盛の立場を「統治派」と分類しているが、その分類に従いたい。時宗は「統治派」の大物塩田義政との確執や時宗の死後に「統治派」の泰盛による「弘安徳政」が遂行されることを鑑みると、時宗自身は「御家人の利益派」に属するも、両者を調停する立場にあった、と本郷氏はみている。そして時宗はその両者を止揚する政治方針を指し示すことはできなかった、とも。
話がずれた。文書の検討にもどる。「五条内裏」というのは「五条大宮」にあった里内裏で、亀山天皇のいた場所。もともとは後深草・亀山両院の生母である大宮院藤原姞子に由来する。深堀時光は五条大宮の亀山天皇の内裏の大番役を勤めていた。それが無事終了したことを報告するために深堀時光が平頼綱に提出した文書を六波羅探題が取り次ぐ時に添えた文書なのだろう。と考えれば前の二つの文書も同様のものであり、いずれも「六波羅挙状」と名付けるべきことになる。
ちなみに『鎌倉遺文』では「平左衛門尉殿」を「平岡頼綱カ」としているが、多分「平頼綱カ」の過ちだろう。侍所所司の職が平盛時から平頼綱に交替するのがいつなのかはよく分からないが、このころには頼綱が就いていた蓋然性が高いのであろう。
追記
しょうもない感想だが、「北条時輔」というキーワード、最近いろいろなブログに顔を出すな。時輔様の知名度向上に少しは貢献している、かな?(笑)