異分野の学部で一般教養を担当する

昨日id:Sokalian氏のブログのコメント欄でSokalian氏と対話していて思いついたこと。氏はfuku33氏の講義には問題はなかった、と考え、私はfuku33氏の自己批判に言及したのだが、Sokalian氏と対話して氏から触発されることがあった。
福祉系の学生に福祉の考え方を捨てよ、というのが問題か否か、ということ自体が問題となっているのかどうかは私にはよくわからない、としか言いようがない。ただ、福祉系の学部で経営学の一般教養を学ぶ意義、というのは、福祉系の考え方を相対化させよう、という意識から開講されているのである。それが福祉系の学生から反発を買う。それに苛立ち、ナイーブと評する。一つ一つの対応に全く問題なし、とはしない。しかし私にはSokalian氏やHALTAN氏のfuku33氏擁護の言説とは全く別にfuku33氏に共感を覚えるのだ。それは私自身違う専門分野を学ぶ学生に歴史学を教えることの難しさを常に意識させられるからである。私の場合理系の学部と経済・経営系と社会学系で講義を担当する。特にこの数年担当している九州の某大学での講義は経営学社会学の混成である。人文学系の思考で経営学の思考と向き合うと、これもギャップが大きくて私にとっては???ということにもなりかねない。あるいは経営学の学生からみて私の問題関心が全くわからない、ということもある。実際には学生も私の方に合わせてくれたりするので、今のところ苛立つことはない。しかしfuku33氏のような状況になり、苛立った時、私がfuku33氏と同じことをしない自信は私にはない。むしろ私はfuku33氏の苛立ちと困惑の方がよく分かってしまうのである。
私の場合経営学系や理工系に人文系を教えると、ホロコーストトリアージの関係についておそらくfuku33氏やHALTAN氏やSokalian氏の立場とは逆の意味から苛立ちを覚えるかもしれない。実際には日本中世史を専攻する私が講義でホロコーストトリアージについて触れることはないのだが、仮にホロコーストについて触れ、その流れでトリアージに触れた時、経営学の学生から批判されるかもしれない。トリアージホロコーストを一緒にするな、と。そういう反応が出た時、私は彼らをナイーブと切り捨てたり、彼らをdisったりしない自信はない、ということだ。問題がない、とは言わない。理屈では私はSokalian氏やHALTAN氏よりも、例えばhokusyu氏の

いや、「誰かを切り捨てなければ誰かを助けることはできない」っていうのが、彼の中で事実(Wirklichkeit)を通り越して真理(Wahrheit)にまで達しちゃってる人っていますよねっていう話なのですが。(「http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080525」)

という話に何となく納得できる、という点においてはhokusyu氏やApeman氏の方に近いだろう。しかし私は自分の身に引きつけて、fuku33氏にも共感してしまうし、あちらこちらの論争みていても、どちらにも理があるような気がしてしまう。まあコウモリ野郎ってとこか。
追記
私自身のスタンスを明示した方がいいかもしれない。私は何度も言うが、fuku33氏に同情的で共感する立場である。しかしそれは必ずしも同意、もしくは賛同するわけではない。今、議論が錯綜しているため分かりにくいが、この一連の蒸し返された問題については、私はいささか奇妙だ、という感想を持っている。そしてこの問題については二つの問題が混同されているように思うのだ。まず一つはfuku33氏の言説や行動の当否。もう一つはトリアージホロコーストを結びつけることの当否。前者に関してはいわば「済んだ話」なのだ。後者のことが問題になって前者のことがまさに「蒸し返された」。その意味ではfuku33氏にとって今回の騒動は非常に不本意なものであろうし、その点においても私は二重にfuku33氏の苦衷を思わないわけには行かない。
本来議論されるべきは後者であるはずだ。この問題に関する私のスタンスも一貫している。「分からないので言及しない」である。と偉そうに書いたが、要するに分からんので逃げているのだが。まあ卑怯と言えば卑怯なのだが、下手に大見えきって恥をかくのもな。もう結構恥かいているしな。というわけでgdgdでした。
D_Amon氏のこのエントリは大変参考になる。「「全体最適はナチ」ではなく「ナチな全体最適」 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか
追記
この問題の一番の本質は那辺にあるのか、私にはまだよく分かっていない。気になることはある。「ホロコースト」と「トリアージ」の問題に関係してのことである。ただどういうことなのか、が自分でもうまく言えないし、また下手に言及して恥をかくのも嫌だし。ということで基本的にコウモリ野郎、というか、ぐだぐだ日和見してますので、ご容赦を。