「だからどうした?」の続き

実際ある史実を明らかにしただけでは、あまり意味がない。「事実」そのものには意味がないからだ。その「事実」に意味を附与して初めて「歴史学」の研究となり得る。私の場合、鎌倉幕府論に関しては素人の域を出ない。従って「陸奥守」を検出した所で、その持つ意味があまりわからなかったりする。そもそも誰かがやっているかもしれない。あるいはやってみて何の意味もなかったのかもしれない。私は上で鎌倉幕府における「陸奥守」の変遷を検討した。これを「歴史学」の成果に持っていくために必要なのは何か、と言えば、一つは鎌倉幕府あるいは鎌倉時代の「日本」の歴史における「陸奥守」の変遷の意義付けを考えることである。もう一つは現在「歴史学」で論争となっている問題にどのように関連しているのか、ということである。そのために先行研究の検討が不可欠なのである。私に今のところ欠けているのは・・・両方。