研究者嫌い

研究者、就中人文系の研究者は変わり者が多い。人文系の研究者のはしくれである私が言うのだから間違いがない(笑)。そして問題は自分が変わり者である、ということに無自覚な人らが多い。だから嫌われる理由も分からないでもない。
ただ始末の悪い「研究者嫌い」がいたりして、困ってしまう。以前いた塾の室長がその類型に属していた、ような気がする。おかげで今考えればずいぶん不当な扱いを受けていた。
私の職業は誤解されやすい。子どもの頃からエリートで、とか。中学受験進学指導はどうも東京大学出ているだけではだめで、私立中学を出ていないとだめなのだ、とか。
私のいまいる塾はそんな人はほとんどいない。人間関係、というかコネだけで採用されている。だれか講師が辞めると「いい人いない?」と塾長から我々に問い合わせが来る。こちらも知り合いと言えば自分の研究分野の研究者しかいないので、仕方なくその辺の人物で、生活に困っていて、性格的に向いていそうな人間を推薦する。採用される。以上である。で、私の出身大学が一流大学とは胸を張って言える偏差値の大学では決してないので、私立中学出身の人は数えるほどしかいない。多分附属中学出身の人と、提携校出身の人と、一流中学で落ちこぼれた人だけであろう。
私自身は、と言えば、再三言っているように、数学の成績が素晴らしい。赤点を経験済み。高校入って最初の中間テストが5点(百点満点)だった時には自分で自分を褒めたくなった。ちなみにクラス平均点は50点。赤点食らったのはクラスで二人。担任の先生が家にすっ飛んできた。ちなみに二人とも私大文系に進学したので、数学がここまで悪いとそれこそ「隔離」するしかないのかも。
国語も5は取ったことはあるかな、と。たまたまフィーリングが一致した。しかしそういうまぐれは長続きしない。一回だけだったように記憶している。なんで国語の教師をやっているんだ、というツッコミはあるだろう。成績が悪かったから見えるものもある、としか言いようがない。浪人して少し国語は分かるようになった。自分の高校までの勉強の仕方は根本的に誤っていた。今、小学生の誤った勉強法を矯正する仕事に追われている。
歴史学の研究者なのだがら、社会、特に日本史は5しか取ったことがない、と威張りたい所だが、実際は(以下ry)。ものを暗記するのが苦手で、そのくせ自分の関心とぴったりあえば、ものすごく記憶力がよい、という困った頭の持ち主なので、成績は振るわなかった。すべての問題はそこにあるような気がする。自分の関心と合致しないと何もできないのだ。
浪人時代はさすがにやばい、と思ったのか、必死で勉強した。特に数学を。その甲斐あって共通一次の数学の点数は18点も変動した。というか、下がった。88点(200点満点)から70点(200点満点)に。一年間何をやっていたのか、自分でも分からん。
大学に入って驚愕したのは、みんな成績がいい。模試では一応楽勝だったし、だからすべり止め、と思っていたのだが、周囲の人の高校の時の成績のよさは何なんだ、と思った。専攻科目だけがんばった。一般教養はぎりぎりセーフで乗り切った。最近は大学院入試も大学時代の成績が関係あるが、私の時の私の大学は卒論の一発勝負。いい研究ができそうと思われれば入れた。
前振りが長くなったが、研究者やってますが、成績めっちゃ悪かったです、というか、小学生の時ははっきり「落ちこぼれ」でした、という自分語りは、ある種の研究者嫌いを説明するのに都合が良い。たまに見かける(私のかつて在籍した塾の室長とか)が、そういう人は私よりもはるかに偏差値の高い大学を出ていたりする。それのみならず、小学校からずっとエリートコースを歩んでいたりする。大学に入って好きだった学問分野を究めようとする。必然的に大学院を目指す。そこで挫折するのだ。大学院は学校の成績がいい、という感じで行けるところではない。だから小学校からエリートコースを歩み、大学でも好成績だった人が必ずしも大学院に行けるわけでもない。さらにそういう人が大学院に進学しても、それだけではそこで生き残っていけるとは限らない。いろいろな要素が絡み合っていて一概には言えないし、そもそも私自身「すでにお前は死んでいる」状態なので、偉そうなことは言えないのだが、学校的エリートだから行けるとは限らない、ということだけは言える。
学校的エリートで、一流大学に進学して学問を志した人が研究者生活を目指して挫折した場合、すぐに切り替えて一般社会に出て活躍すればいいのだが、中にはそうでない人も存在する。私が以前在籍していた塾の室長がそうだった。超一流大学の東洋史出身だったその人は何と司法試験に挑むのだ。唐突に思えるが、時々そういうことをする人を見かける。私の先輩には大学院試験で失敗して医者を目指した人もいた。
そういう「頭のいい」人で、研究者になれなかった人が落ちこぼれの経歴から何とかアカポスに残っている人をみる時の視線はなかなか複雑である。私の場合「お前は既に死んでいる」状態なので、アカポスに残っている、というのは偽装だろうが。彼らは自分が学問から「落ちこぼれた」自分語りをする一方で、研究者にならなかった理由付けを一生懸命行う。いわく、研究者は世間知らずが多い、研究者は世間一般とは遊離している、大学はそういう変人を隔離する場所だ、等々。いずれも私のかつていた塾の室長の語りだ。私自身は研究者に対するそのような評価はそれほど間違っていないとは思っているが、同時に「おまえが言うな」とも思っていた。というのは、その人も研究者を志して、そして失敗して司法試験を目指して、それにも挫折して、30過ぎて塾に就職した人だからだ。
その人が挫折した理由は私には手に取るようにわかる。学問を行うにふさわしい思考様式を持っていない。歴史学しか私はやったことがないので、他の学問分野は知らないが、歴史学に関して言えば、自分の立ち位置に鈍感な人は根本的に向いていない。どうでもいい「史実」の確定しかできないからである。自分が明らかにした「史実」がどのような意味を持つのか、というのは、全体の中に位置づけて初めて意味を持つ。そこが分かっていない人の研究は発展性がないので、卒論だけで大学院への進学を決定されると、ほぼ落とされる。しかし自分ではなぜ大学院に行けなかったのか、がわかっていないので、ルサンチマンから研究者をこき下ろすようになる。
最近は大学院も大学時代の成績を勘案するようになったようだ。大学時代の成績が5段階の4でないと推薦してもらえない、とか。私の大学の場合。いや、それされると私は思いっきり下回ってますから、と思うのだが、私は運が良かったのだろう。いい時代に大学院に進学できたものだ、としみじみ思う。この十年の文系大学院はおそらく私のいた大学院とはかなり異質のものになっているであろう。「世間一般」に合わせた研究を、という感じで「隔離」ではないのだろう。しかし私は思うのだ。そもそも中世史研究など「世間一般」の尺度からみれば完全に無意味ではないか、と。北条時輔の研究や、畠山満家の研究や、鎌倉時代陸奥守の変遷など、そもそも何の意味がある、というのか。「世間一般」の意識を相対化することにしか意義がないではないか。「史実」そのものには意味がない、というのも、そういうことで、「史実」がいかに「世間一般」が拠って立つ「常識」を覆せるか、言い換えれば「世間一般」の拠って立つ根拠がいかに薄弱なものでしかないか、ということを主張することにこそ、歴史学の醍醐味があるのだ、と私は考えている。
ちなみに「世間一般」を自分と同一視する考えについては私は「傲岸不遜」であると思っている。「私」の意見は所詮「私」の意見でしかないのであって、それが「世間一般」と同じという保証はどこにもない。「私たち世間一般」という言い方は、「自分の言っていることは世間の大多数の見解と同じだから、自分の意見に従わないものはだめだ」と言っているのと同じことだ。