鎌倉時代の「陸奥守」北条貞直

北条貞直は大佛流北条宗泰の嫡子として生まれる。宗泰は11代執権大佛宗宣の弟で二番引付頭人を務めた。従五位下土佐守。
貞直は生年未詳で、要職就任以前の経歴も明らかではない。1320年の文書が残っていて、在京していたことがうかがわれる。当時は従兄の維貞が六波羅探題南方に在職していたので、その補佐役として在京していたのだろう。
維貞よりひと足早く鎌倉に帰り、1322年四番引付頭人を皮切りに1330年には二番引付頭人に昇る。官位は従五位下で右馬助、式部大夫、陸奥守とあるが、それぞれ何年に何歳で任ぜられたか、という記録はない。
貞直が大佛流北条氏の中で一番有名なのは、『太平記』において戦闘シーンで出てくるからである。1331年、後醍醐天皇笠置山で挙兵した時に後醍醐天皇を攻める時の総大将として上洛、鎌倉幕府滅亡の時には極楽寺切り通しを守備し、貞直の家人が新田義貞軍の大館宗氏を討つなど、活躍するが、稲村ケ崎の防衛戦を突破され、壮絶な戦死を遂げる。