鎌倉幕府「人身売買禁止法」−追加法156−

延応二年は七月十六日に仁治と改元される。従って年は同じ1240年だが、七月十六日以降は仁治元年となる。前回検討した追加法142は延応二年五月十二日、今回みる追加法156は仁治元年十二月十六日となるが、いずれも1240年の発布。
追加法156は追加法154〜158のセットで、執権北条泰時名で六波羅探題北条重時北条時盛に対して出されている法令。一応全ての項目(事書)だけ挙げておくと「本補跡所々検断事」「厨屋雑事等事」「人倫売買事」「諸社辞任并神官等、令書起請文時、於他領社不可書由事」「可被行罪科由、被載下御下知状事」。この一連の法令は『吾妻鏡』仁治元年十二月十六日条にも「就地頭所務以下事、被定条々」としてほぼ同じものが載せられている。
この内の「人倫売買事」の本文。

一 人倫売買事
右、人勾引并売買仲人之輩者、可被召下関東。被買之類者、随見及可被放免其身也。且以此旨可被觸路次関々也。

読み下し。

一 人倫売買の事
A 右、人勾引ならびに売買仲人之輩は関東に召し下さるべし。
B 買わるるの類は、見及ぶに随いその身を放免せらるべきなり。
C 且つはこの旨を以て路次の関々に触れらるべきなり。

Aでは「人勾引」(「人買」と同義)つまり人身を買い取って転売することと、「売買仲人」つまり売買を仲介する商人については逮捕し、関東に連行するように命じている。『中世法制史料集』所収のものは六波羅探題宛なので、六波羅探題では処断せずに、幕府で処断するということである。
Bでは売られていた人についてであるが、当然発見次第その身を解放せよとしている。
一応『吾妻鏡』中の原文を見ておこう。

一 人倫売買事
勾引中人等者、可被召下関東。被買之類者、随見及可被放。且可觸路地関々也。

かなり短くなっている。