鎌倉幕府「人身売買禁止法」−追加法178

鎌倉幕府の人身売買禁止法を読むシリーズ。もともと朝廷でも幕府でも人身売買は禁止されていたが、寛喜三年の大飢饉で幕府は人身売買を黙認した。世の中が飢饉の打撃から立ち直り始めた時に幕府は再び禁止に踏み切るのだが、一度始まった人身売買のビジネスはなかなか根絶できず、その後も何回にもわたって人身売買禁止法は出されることになる。
今回は仁治三(1242)年正月十五日に出された「新御成敗状」と題された一連の法令群である。全28条からなるこの法令は「新御成敗状」という法令の名前が示すように、御成敗式目の追加法の中でもひときわ重要な法令であったことがうかがえる。追加法182条 - 我が九条においては182条の「百姓逃散時事」を検討したが、今回は「人倫売買事」を検討する。

一 人倫売買事
右、関東御教書云、寛喜飢饉之比者、固有禁制者、還依可為人之煩、愗無沙汰。自今以後者、可令停止云々。守被仰下旨、可止之。若背御制者、云買人云売人、可処罪科矣。

読み下し。

一 人倫売買事
A 右、関東御教書にいわく、寛喜飢饉のころは、固く禁制あらば、還りて人の煩いたるべきにより、愗無沙汰。自今以後は、停止せしむべきと云々。
B 仰せ下さるの旨を守り、これを止むべし。もし御制に背かば、買人といい売人といい、罪科に処すべし。

Aで言及されている「関東御教書」については、同じような内容の法令が重ねて出されているので、どれとはいえない。寛喜の飢饉のころに一旦緩和された人身売買を「自今以後」停止せよ、という。Bでは買い手も売人も罪科の対象である、ということである。
この法令自体には目新しい記述はない。問題は仁治三年になぜこの一連の「新御成敗状」が出されたのか、ということである。