鎌倉幕府「人身売買禁止法」追加法242

鎌倉幕府「人身売買禁止法」。追加法242から244までは寛元三(1245)年二月十六日に出された一連の法令。執権は北条経時連署は空席なので、年若き執権を補佐するのは評定衆のトップに名前を連ねる北条政村を筆頭に外戚安達義景、経時の父時氏の外戚三浦泰村、一門の若手の北条実時であろう。一方反経時派としては前将軍藤原頼経が将軍辞任後もあれこれ理由をつけて上洛を延引し、周囲に三浦泰村の弟の光村や、得宗に反発を持ち、自らを北条氏の正嫡を以て任じる名越流の北条光時・時幸が周囲を囲繞し、大殿派とも呼ぶべき政治勢力を形成していた。
追加法242の本文

一 養子事
号進退者、不可及売買。如本可為養子也

読み下し

一 養子の事
進退の者と号して、売買に及ぶべからず。本の如く養子たるべきなり。

「進退の者と号して」というのは自由に処分権を行使し得る、つまり所有の対象であると主張すること。養子を売買の対象と主張して売却しようということだろう。養子を売買できるものと主張することを禁止し、養子として扱え、という法令である。