松田聖子に懐かしさを感じる

「昭和の鉄道模型をつくる」がターゲットにしたのはおそらく団塊の世代だろう。2007年7月に始まったこのシリーズが2007年3月に定年退職を迎えた人を衆としてターゲットにしたことは十分想像し得る。だからであろう、時代設定が昭和30年代、というよりも1960年代前半となる。それはこのシリーズの自動車を見ればわかる。自動車は鉄道車両と比べるとはるかに寿命が短く、10数年ほどでフルモデルチェンジが行われ、以前のモデルの姿をみなくなる。「昭和の鉄道模型をつくる」の電車は1930年代初頭に造られ、1970年代までは地方鉄道で生き延びてきた。一方「昭和の鉄道模型をつくる」についてくる自動車は1960年代初頭に作られた形式である。この時代、鉄道車両は新性能化が進み、現在なお大手私鉄でも現役バリバリの車両が多い。阪急2300系や京阪2600系は姿や制御器を変えながらも今なお第一線で活躍中である。自動車は1960年代に作られたモデルが入っており、バスはやはり1960年代初頭のボンネットバスが入っている。つまり「昭和の鉄道模型をつくる」を素直に完成させると1960年代初頭の風景となる。さらに言えば付いてくる車の中にパトカーがあるが、パトカーには堂々と「警視庁」とある。つまり「昭和の鉄道模型をつくる」の設定は1960年代初頭の東京都なのだ。まさに「三丁目の夕日」の世界。
しかし私はこの時まだ生まれていない。いわゆる団塊の世代の20年後に生まれている私にとって「三丁目の夕日」と同じノスタルジーを感じるには、60年代前半から20年後となる。すなわち80年代前半、ということになる。80年代前半を代表する歌手と言えばやはり松田聖子にとどめを刺すだろう。
松田聖子は80年にデビュー、85年に結婚して活動休止、87年にママドルとして活動をはじめる。「松田聖子」と言ってもこの間の断層は以外と大きい。私にとって懐かしさを感じる松田聖子とは前半の方である。特に同時代的には松田聖子のファンでもなかった私にとって、前半の松田聖子は意識しなくても常に耳に入ってくる存在ではあった。個人的には石川秀美ファンだったのだが、石川秀美のほうはほとんど聞くことはなかったのに、ファンでもないのに全てのヒット曲をそらんじることが出来る。松田聖子一色、と言っても過言ではない。中森明菜は82年にデビューし、そのままトップアイドルの道を歩むのではあるが、やはり松田聖子の存在感は大きかった。松田聖子を聞きながら「昭和の鉄道模型をつくる」を仕上げたくなる所以である。
松田聖子に染まるような「昭和の鉄道模型をつくる」を仕上げるために必要な小道具はやはり自動車だろう。自動車はモデルチェンジが頻繁なので年代を示す指標となってくれる。建物はあまりにも古くなければどうとでもなる、といいたいところだが、民家はやはり比較的早く立て替えられるので、ある程度考える必要はある。
ということを踏まえて「昭和の鉄道模型をつくる」を私の好みに作り替えるということをテーマにしてみたわけだが、基本的に工作力はゼロなのであまりややこしいことはできない。
建物をいくつか差し替えたのはすでに述べたこともあるような気がするが、民家がやはり古すぎるのでそれが中心。長屋だけが残った。洋館付き住宅など古すぎて80年代でもいささか古すぎる感じは否めない。そこは旅籠を置いて和風民宿とする。民宿ならば古い感じも問題はない。平屋住宅もそんな家はないだろう、と思われる。というのは土地の使い方がぜいたくすぎて、土地高騰以降では確実に立て替えて建ぺい率を大きくするだろう。建物はしかしどうしても関東風なのでそこは目をつぶるしかない。
車に関してはバスを置くと地域性と年代を同時に表すことが出来る。これは電車もいっしょだが、電車は寿命が長いので、バスに語らせるのが良い。モデルとなる地域はいろいろ迷走したが、鉄コレで叡山電鉄デオ301が出たのをきっかけにデオ301を走らせる、というのをコンセプトにした。阪急沿線で生まれ育っているので一番よいのは阪急なのだが、阪急920系は昭和10年代の姿。生まれてないし、好きな時代でもないので結局感情移入がしづらかった。晩年の姿だったらみたこともあるし多分乗ったこともあるのでまだ感情移入しやすいのだが。阪急のその後の鉄コレは19m級なので、「昭和の鉄道模型をつくる」にはいささか厳しい。嵐電もずいぶんお世話になっているので感情移入しやすいし、モデモからモボ101がノーマルと井筒屋のラッピングトレインが発売され、もちろん速攻で入手し、さらにモボ621も予約をかけてしまった。しかしモデモの車両はスロー性能が抜群で楽しいにも関わらず、小型軽量が災いして線路条件の極悪のところでは引っかかることも多い。鉄コレのトミーテック製品を主とした「昭和の鉄道模型をつくる」ではトミーテックの鉄コレから感情移入のしやすい鉄道を選ぼうと思う。
ここからが迷走するわけだが、長電とか、弘南とかいろいろ考えた。松本電気鉄道新潟交通も負けず劣らず魅力的なのだが、どれも好きな車両なのだが、何かしっくり来ない。感情移入しづらいのだ。やはり京都には京都、ということで鉄コレの叡山電鉄デオデオ301に白羽の矢を立ててみた。これで下限が88年ということになる。バスが83年デビューと84年デビューなので上限が84年ということになる。84年から88年、うーん、完璧に黄金の80年代。字幕が紫色なのは98年以降だが、そこにこだわらなければ84年から88年の京都、ということになる。
京都市バスを置いて気になるのがやはりそこ、という点と、もう一つは「野原交通(株)」と書いてあること。どうしようか、と思っていたら天の啓示(?)か、京阪バスを置けばいい、と、バスコレ12弾の日野自動車RC路線バスの京阪塗色に目をつけた。これならば古そう、と思って日本橋に行ったらしっかり売り切れ。意気消沈して中古コーナーに行けば、いすずBU04があったではないか。速攻入手。1100円もしたけどよし。
早速みてみる。

懐かしい。80年代半ばまでは姿を見かけたはずだ。登場は1970年代前半。だから私が大学に進学し、京都市バスを使うようになった頃には引退が進んでいた。87年頃にはみかけなくなっていた。50系統で行き先が「北野白梅町 衣笠」となっている。86年には「立命館大学前」と改称されるので、86年以前の時代設定となる。うーん、いよいよ松田聖子だ(笑)

向きを変えてみた。非常扉が真ん中にあるのが特色。そうそう、思い出した。けったいな場所に非常扉があるものだなと思ったものだ。50系統は京都駅から西洞院通を上がって四条通から堀川通に入り、中立売通から千本通今出川通北野白梅町、そこから西大路通からわら天神経由で衣笠に向かっていたはずだから叡山電鉄との接点はない。

ヨメが買ってきた東京土産。どう考えてもおかしいが、「レイアウトにおける」と思って買ってきたそうで、置いておかないとまずいので取り敢えず設置(笑)。レイアウトは基本的に興味の無い人にとってはただのガラクタにしか見えないらしい。わが家でも邪魔者扱い。それがわざわざ土産で買ってきたのだから、これは置かないとレイアウトの命運にかかわる(笑)。