鎌倉幕府「人身売買禁止法」追加法243

明日からしばらくネットにアクセスできなくなるので(毎週のことだが)、今のうちにやっつけ仕事でやってしまえ、という発想。幸いにしてこの法令は岩波思想体系の『中世政治社会思想』に載っているので、読み下しの作成には手間がかからない。難しい言葉も解説してくれるのでこちらであまり考える必要もない、ということで、一気にまとめてしまおう。
本文

一 寛喜以来飢饉時、養助事
無縁之非人者、不及御成敗。於親類境界者、一期之間雖令進退、不及売買。又不可及子孫相伝也。

読み下し

一 寛喜以来飢饉の時、養助の事
A 無縁の非人は、御成敗に及ばず。
B 親類境界においては、一期の間進退せしむるといえども、売買に及ばず。
C また子孫相伝に及ぶべからざるなり。

『中世政治社会思想』の読み下しとは仮名遣いを少し変えている。読み下しにあえて旧仮名遣いを使う意味が分からない。読み下しは現代の私たちが現代の人々に解説するためのものでしかない、と考えているからである。
「寛喜以来の飢饉」の時に、人身売買の禁止が緩和された。詳しくは追加法112に定められているが、寛喜の飢饉の時に養えなくなった人を売り払ったことがあったわけである。その取り戻しをめぐる訴訟が増加している中で「人身売買禁止」が定められているのである。
実はAの部分の「無縁の非人」の意味が私にはとりづらい。ここでの「無縁」の意味も「非人」の意味も今一つわからないのだ。辞書通りとらえれば「よるべなき非人身分」ということになるのだろうが、それについては「御成敗に及ばず」ということであるが、そこの意味もわからない。わからないので無責任に考えれば、もともと「無縁」であった「非人」を飢饉の時に「養助」した場合は、そこからの解放を「養助」された「無縁の非人」が訴え出ても訴訟として取り上げない、ということだろうか。Bの文言と比較すると売買も容認されているように思われる。「非人」であるから「人倫売買」には当たらない、ということだろうか。
Bの文言にある「親類境界」とは『中世政治社会思想』の頭注によれば「親類に含まれる者」ということである。それは「一期の間」つまり一生涯「進退せしむ」つまり奴隷として扱うことはできるが、売買はできない、ということである。ここではっきりするのは「人身売買禁止法」と言い条、それは奴隷の否定ではなく、もちろん奴隷解放宣言ではあり得ない。鎌倉幕府が禁止したのは奴隷そのものではなく、その奴隷を売買することである。そもそも鎌倉幕府、特に北条泰時は商行為に対してかなり敵意を持っていた。人身売買禁止法はその側面から見られなければならない。日本に労働奴隷がいなかった、という議論は妄想にすぎないことはこの一文からも明らかである。
CではBの「一期」に対する「子孫相伝」への幕府の見解である。相伝の対象にはならない、ということであろう。