鎌倉幕府「人身売買禁止法」追加法299

久しぶりに鎌倉幕府「人身売買禁止法」について。寛喜の大飢饉の時に鎌倉幕府は朝廷の方針とは異なり、人身売買禁止を緩和した。それを延徳元年に再び禁止した。その後も混乱は続き、幕府は人身売買の禁止を徹底せざるを得ないことになった。
本文

一 人質事、人倫売買之御制以前、致訴訟於給問状者、任証文流質人也。次御制已前、雖入流之、御制以後、至経訴訟者、早致一倍之弁、人質事不可及沙汰。凡御制已後人質事者、一向可従停止也。以此趣可令奉行給之旨、被仰下候也。仍執達如件
  建長六年五月一日      勧甚
                実綱
                寂阿
   太田民部大夫殿

読み下し。

一、人質の事、
A 人倫売買の御制以前、訴訟を致し問状を給うに於いては、証文に任せ質人を流すべきなり。
B 次に御制已前、入れ流すと雖も、御制以後、訴訟を経るに至っては、早く一倍の弁を致し、人質の事沙汰に及ぶべからず。
C 凡そ御制已後の人質の事は、一向停止に従うべきなり。
D この趣を以て奉行せしめ給うべきの旨、仰せ下され候なり。仍て執達件の如し。

人質、つまり人間を抵当に入れている場合の裁判についての定め事。
「人倫売買の御制」つまり延徳元年の人身売買の禁止の徹底以前と以後で分けている。
Aは「人倫売買の御制」以前に提訴がなされ、訴訟が開始された場合。この場合は証文通り。
Bは「人倫売買の御制」以前に流質の期限がきたものの、提訴されていない場合。この場合は借用額の倍額、つまり元本と利子を返済させ、抵当の人質の取り流し請求の訴訟は取り上げない、と決めている。
Cは「人倫売買の御制」以後のものだが、そもそも人質自体が禁止されている。
これについての『吾妻鏡』の条文。

人質の事沙汰有り。その法を定められ、今日施行せらると。所謂御制以前質券を入れ流すと雖も、御制以後訴訟を経るに至らば、早く一倍の弁を致すべし。人質の事は沙汰に及ぶべからず。凡そ御制以後質人の事は、一向停止すべきの由と。此の如く申し沙汰すべきの旨、相州より問注所に仰せらると。勧湛・實綱・寂阿奉行たり。

時間もないので取り敢えず読み下しだけ。この法令は「相州」つまり相模守であった北条時頼から問注所に「仰せらると」いうことである。