言葉の変遷

史料を分析する際に気をつけなければならないことは、史料上の言葉の語義が現在とずれていることが往々にしてある、ということである。例えば史料上に「経済」とある。今我々が「経済」として考えるのは「エコノミー」の訳語である「物質の生産・流通・交換・分配とその消費・蓄積の全過程、およびその中で営まれる社会的諸関係の総体」「金銭の出入りに関すること」「費用が少なくてすむこと」(大辞林)が中心的な語義である。「世を治め、民の生活を安定させること」(大辞林)という用例ではあまり使われないだろう。しかし室町時代には前者の用例はない。室町時代には「国を治めて、人々が困窮することがないよう処置すること」(時代別国語大辞典 室町時代編)だけである。つまり「経済」というのはもともとは「経世済民」の省略から転じて現在のような「経済」という語義に当てられるのである。「自然」に関しても同じことが言える。現在我々が普通に考える「自然」とは「人為によってではなく、おのずから存在しているもの。山・川・海やそこに生きる万物」というイメージだが、室町時代には違う。「しぜん」と読む時には現代における「偶然の結果として生じた」「何かのめぐりあわせによってある望ましからぬ事態が突発的に出来すること」「たまたま生まれつきのものとしてその人に賦与されているさま」(時代別国語大辞典 室町時代編)であり、「じねん」と読む時には「その事態の実現・成就が、そのものに備わった本質に由来するものであって、周囲からの助けを必要としないさま」(時代別国語大辞典 室町時代編)である。どこにも「山・川・海やそこに生きる万物」という用例はない。
土人」の室町時代における語義は「→土民」となっている。用例として挙げられるのは「守護殿ニ土人ガ一献ヲマイラスルゾ」とあるもので、これは「土民」つまり「その土地に住み着き、生産業などに携わる、身分の低い者」(時代別国語大辞典 室町時代編)ということになる。
加藤一夫氏は「『北海道旧土人保護法』」(『アイヌ語が国会に響く 萱野茂アイヌ文化講座』草風館、1997年)において次のように述べる。

土人というのは、もともと「土地の人」の意味で、江戸時代から使われてはいたのですが、なぜアイヌ民族にこれを使ったのか。これには諸説があるのですが、重要なのは「旧土人」という形にしたことで、日本の少数エスニック集団を日本人の最下層の社会成層に組み込むことで、その異質性を曖昧にさせ、民族の存在を見えないものにさせるという日本の少数民族政策の思想が示されている、と私自身は思っています。

まあ「土人」についてはとりあえず近いうちに第八回帝国議会において戦わされた「土人論争」をまずは参照せねばなるまい。
ただ一つ言えるのは江戸時代における「土人」の用法を引いてきて、「土人」という言葉に差別の意味はない、というのは、「経済」という言葉には「費用が少なくて済むこと」とか「金銭の出入りに関すること」という意味はない、というのと同じくらい無理な論法である。