「とりあえず『鎌倉幕府はなかった』と『いいくに作ろう』はないよね」(笑)

「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」の原型である1192年説の現状について。とりあえず大学における歴史知識の前提となるのが『詳説日本史』及び『詳説日本史研究』(いずれも山川出版)。「頼朝が将軍に就任(在位1192〜1199)し、ここに鎌倉幕府は名実ともに成立するにいたった」と書かれている。1192年に関しては一つの指標としては評価されうるものの、源頼朝の作った「幕府」の内実には大きな影響がないことを以て、現在ではあまり顧みられなくなった説である。小林よしのり氏は『サピオ』連載の「天皇論」で1192年説が顧みられなくなったのは、天皇の影響を過小評価したい反天皇制サヨクの影響を指摘しているが、それはあたらない。小林氏がやり玉に上げた「いいはこつくろう」の1185年説も、あくまでも守護・地頭設置を朝廷から認められた「文治の勅許」のことであるから、朝廷からの許可は前提である。守護・地頭の設置が頼朝のごり押しというならば、将軍も頼朝のごり押しである。後白河法皇は頼朝を右大将に据え、将軍を渡そうとはしなかった。後白河法皇没後にようやく頼朝は将軍職につくのである。
幕府=将軍というイメージは一つには江戸時代が今日の我々の想像も付かない「華夷秩序」の枠内に存在する、という背景がある。「華夷思想」とは「中華−夷狄」の関係を軸にした「国際秩序」であるが、実際には「国」対「国」のイメージではなく、「礼・文中華主義」という単一の秩序のもとでの「中心−辺境」概念である。「中華」と「夷狄」は「地」や「血」で固定された秩序ではなく、「礼」や「文」によって決定される可変的な秩序である。中国大陸で「華夷変態(明清交替)」が起こり、「中華」は朝鮮半島や日本列島に移行したと考えられていた。「中華」の文化による呼称が日本でも流行したのである。中納言を「黄門」と呼ぶのは「中華」崇拝思想の現れである。御三家の水戸藩藩主は代々「中納言」だったので「水戸黄門」と後世呼び習わされるようになった。同様に将軍の居所だけでなく、将軍の作る政体を「幕府」と呼ぶのも中華崇拝思想の現れである。だからといって「将軍=幕府」説に固執する小林氏を「中華崇拝思想」の持ち主である、とか、「中国の手先」であるとか決めつけるのは、どう考えても単なる言いがかりであり、それを決めつける人の思考が疑われるところであろう。例えば「中国人共は、将軍=幕府=中華思想をネタにして、日本人を永遠に土下座させようとしている。そのような悪辣な人間が存在する限り、我々は鎌倉幕府論を認める事は出来ない」というトンデモな意見と同様の「1192年説に固執する意見は中共の手先だから信用できない」というロジックで批判することも、これまたトンデモであることが理解できよう。幸いにして鎌倉幕府論にはそういう足止め効果を発揮するトンデモは存在しない。
1192年説が現在顧みられなくなっているのは、頼朝が将軍になる以前にすでに鎌倉幕府の骨格は定まっていたからであり、逆に将軍になった後も、承久の乱までは全国に支配権を及ぼすこともなかった、という点がある。つまり将軍に就任したこと自体は、それほど大きな意味を持っていない。朝廷から公認された、ということであれば、「寿永二年の宣旨」が出された1183年だろうし、頼朝の支配権が東国を中心に全国に及ぶようになった「文治の勅許」の1185年だろうし、頼朝が国家の軍事警察権を担当するシステムが恒久的なものとして固定された、という視点で見れば「六十六カ国惣追捕使」に補任された1190年となるだろう。つまり「征夷大将軍補任」というのは、それらと比べてインパクトが少ないのである。だから1192年説は今日ではあまり顧みられなくなった。
厄介なのは、1192年説がさほど有力な説ではないということ自体は間違ってはいないこと、しかしあり得ない説ではないという微妙な位置にある点である。つまり今ではあまり顧みられなくなった説ではあるが、実際問題としてそれ以降の「幕府」なる武士の政体が、「将軍家」を頂点とする形で存在したことは事実であり、鎌倉幕府では、一番権威のある「政所下文」は「将軍家政所下文」として出されている。北条氏が出した「下知状」や「御教書」など、鎌倉幕府の公的文書の中で、執権・連署が出した文書は原則として「依仰下知如件」とか「依仰執達如件」とか書かれている。これはつまり執権・連署の命令は建前上は「将軍家の仰せに依って」ということだったのだ。従って「将軍」=幕府というのもあながち荒唐無稽なものとも言いきれない。
完全否定と1192年説の両方を否定して「どっちもどっち」というのは、そういう事情を知らないからこそできる無知の産物であり、論争自体の実情について知らないことを意味している。幸いにして、そういう「どっちもどっち」という困った人は今のところみていない。完全否定説がないから、当然ではあるが、そういう無知の上に居直って当てずっぽうなことをいう困った人による足止め効果がないことは鎌倉幕府論にとって非常に幸せなことである。