応援ボイコット−新庄剛志氏の場合

応援ボイコット事件といえば新庄剛志氏が思い浮かぶ。新庄氏の応援ボイコットに関する著述。同氏著の『ドリーミングベイビー』(光文社、2001年)より。

僕の打順になると急にトランペットが鳴りやんだ。鳴り物の応援が沈黙しても、しかし、メガホンを叩いて応援してくれるファンの人がたくさんいた。打席に入るときに、その音を僕の耳が強くとらえたんだ。
ようし、メガホンを叩いてくれる人のために、絶対に打ってやろう、打たなければいけないと思った。そしたら、ホームランが打てた。
(中略)
清原さんも僕と同じ気持ちだと思うが、あれだけは経験した選手にしかわからない。僕の打席が終わると、また応援が始まるのだから、あれほど辛いものはない、
この思い出があるから、タイガースには戻りたくないという気持ちが心のどこかには残っている。しかし応援ボイコットをしたのはごく一部のファンだけだし、それと同じレベルに立って反発するのは大人げない気がする。

清原和博氏にせよ、新庄剛志氏にせよ、成績不振でのボイコットである。これはある意味「叱咤激励」の意味が込められている、と解釈できないでもない。しかし今回の西岡剛選手の場合は、明らかに非難であり、誹謗中傷の類いであり、感情的な反発でしかない。西岡選手の言葉に感情的な反発を感じるファンはいてもいいだろう。それを横断幕で表現するのもありだろう。しかし応援団がそのような行為に加担してはならない。組織的に「一部ファンの暴走」に加担したのであれば、さらに言えば「一部ファンの暴走」を煽った、あるいは「一部ファンの暴走」は実は応援団の組織的な動きだった、ということであれば、ロッテファンの品位を汚したと言われても仕方のない応援団の責任は極めて重い。私はロッテファンではないので、これ以上の言及は避けるが、ロッテファンの中から議論が沸き起こることを期待したい。私は球場で見ていてもロッテファンの応援は素晴らしいと感心している。今回の不祥事(あえてこういわせていただく)は非常に残念である。