表現の自由覚書3

もう一つ、知る権利に関する判例富山地裁判例富山県立美術館が購入した版画が、県議会議員の質問や政治団体、宗教関係者のデモ、抗議によって売却され、図録は焼却処分となったことについて、版画の製作者らが県立美術館を提訴したものである。県側の主張は「本件作品が県議会で取り上げられた翌日の昭和61年6月5日以降」「面会要求、電話による抗議、抗議文の送付などが殺到し、中には本件作品の廃棄や館長らの辞任を求め街宣活動を行う者もあ」り、「県知事が知事室において殴りかかられたこともあった」ということで、管理運営上、公開中止・売却は止むを得ないというものであった。

住民への情報提供を目的とする公の施設につき、管理者が正当な理由なく利用を拒否することは、憲法の保障する知る権利の不当な制限に当たる。美術館の作品と図録の閲覧を管理運営上の障害を理由に拒否するには、客観的事実に照らし、公開により人の生命・身体・財産が侵害され、公共の安全が損なわれる明らかに差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要である。

として原告の主張を一部認めた。「明らかに差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要」というのは「明白かつ現在の危険の法理」と呼ばれ、表現内容そのものに対する規制をする際の厳格な基準の一つである。そして収蔵作品を個人に売却し、図録の閲覧を認めない、という表現内容そのものに対する規制を行なう基準である「明白かつ現在の危険」には富山県立美術館の置かれた状況は該当しない、と定めたものである。そして非公開とした処分を違法と認め、原告に対して損害賠償のみを認め、その他の処分の撤回については認めなかった、一応原告勝訴ということだが、本来原告が求めたことからすれば、全く不十分な内容ではあっただろう。
名古屋高等裁判所金沢支部控訴審判決。

県立美術館は地方自治法二四四条一項にいう公の施設に当たり、図録を閲覧することは公の施設の利用にほかならないから、特別観覧を不許可とし、図録閲覧を拒否することは、「正当な理由」(二項)がない限り、許されない。美術館としては、できるだけ後悔して住民に便宜を図るよう務めなければならないが、施設の特質から、平穏で静寂な館内環境を提供・保持すること、作品自体を良好な状態に保存することも強く要請されており、管理運営上は、特別観覧を不許可とし、図録の観覧を拒否しても、「正当な理由」があるものとして許される。原審判決の基準は「集会の自由」を制約するおそれのある事案については相当であるが。本件については厳格に過ぎて相当ではない。

として、作品の非公開、図録の閲覧不許可処分は適法である、とした。「原審判決の基準」とは、おそらく「明白かつ現在の危険の法理」だろうが、それは本件に関しては厳格に過ぎる、ということで、「より制限的でない他の選びうる手段の基準(LRAの基準)」を採用したのだろう。表現行為を規制する法の目的が実質的に正当であり、その目的を達成するために、より制限的でない他の選びうる手段が存在しない場合に限って、表現行為を制限することができるとするのがLRAの基準である。県議会議員の質問や政治団体や宗教団体の圧力によって非公開処分を行うのは「明白かつ現在の危険」ではないが、県立美術館の管理運営を正常化するために「より制限的ではない他の選び得る手段が存在しない」場合である、と認定されたのである。(どうも違うようだ。はてなキーワードより制限的でない他の選びうる手段の基準」参照)
この事件はそもそも美術館に収蔵された作品が、政治家や市民運動家や宗教団体の圧力や政治結社による暴力を伴う威圧によって非公開にされ、その図録すら閲覧ができなくなるという、どこの全体主義国家の話か、と疑われるような事態なのであるが、この問題を裁判で争う場合には、あくまでも非公開処分・閲覧不許可処分が違法か適法かが争われるのであって、判例も当然それに沿った文脈で言及されることになる。
この判例自体の問題を論うならば、やはりある作品に反感を持つものが「常軌を逸した不当な行動」をすれば、行政機関はそれに屈することも安易に認める、という前例を認めてしまった、ということに尽きるだろう。本来行政は「常軌を逸した不当な行動」をこそ規制するべきであって、表現活動を規制するべきではない、という見解がある。
参考
http://www.jicl.jp/now/date/map/16.html