黒田俊雄テーゼを克服するために

ここまで3回にわたって黒田俊雄の権門体制論と顕密体制論と荘園制論の説明を検討してきた。その過程で権門体制論に対する批判を精力的に展開している本郷和人氏の議論に関してささやかな疑問を二点ほど提出させて頂いた。私がここまで論じてきたのは黒田俊雄の権門体制論・顕密体制論・荘園制論の理解であり、それ以外のものではない。ましてや黒田俊雄を擁護しようとするものではない。むしろ逆で、黒田俊雄を乗り越えようとするのであれば、黒田俊雄を正確に理解する必要がある、と考えているからに他ならない。
本郷氏は次のように言う。「権門体制論を支持するのは、いい加減にやめたほうが良くはないか」(『武力による政治の誕生』197ページ)と。私自身権門体制論には問題が多いと考えている。しかしそれは権門体制論が皇国史観の亡霊だからではないし、上からの歴史把握や枠組みを重視するところに問題があるからでもない。
権門体制論の問題は大きく分けると二種類になると思われる。
まず一つ目は「Wallerstein氏の見解を前提にすると、困るのは権門体制論の批判者ではなく、むしろマルクス主義に賛同せず、「史的唯物論」に立脚しないにもかかわらず、自分は権門体制論者だと思っている方々でしょうね。これらの方々は、「権門体制論の亜流、もっと言えば似て非なるもの」となってしまいます」(「黒田農園のチューリップ | Japanese Medieval History and Literature | 5484」)という現状である。
本郷氏は次のように言う。

権門体制論は皇国史観大義名分と等しく、「かくあるべき」視点をなぞっておけばよい。「どうなっている?」と立ち止まり、中身を詮索する必要がないのだ。(『武力による政治の誕生』192ページ)

「黒田俊雄氏を指導者とする権門農業協同組合の組合員の方々が生産してきた数多くのチューリップは、「史的唯物論」派か否かを問わず、質量とも非常に豊か」と鈴木小太郎氏はいう。一方で本郷氏は「ここまで内容がすっぽり抜け落ちていたのでは、お話になりません。張り子の虎と言われても仕方がないでしょう」(『天皇の思想』267ページ)とまで批判する。黒田農園のチューリップが美しいのか、見掛け倒しなのか、鎌倉時代に関してはほぼ素人同然の私にはにわかには判断がつかない。少なくとも本郷氏には黒田農園のチューリップは「張り子」にしか見えないのである。それどころか「益よりも害の方が大きいのではないか」とまで批判されている。権門体制論の枠組みが静態的に映るとすれば、その原因はどこにあるのだろうか。私が紹介してきたように、史的唯物論弁証法唯物論に立脚する限り、枠組みを把握することが即静態的になってしまうわけではない。悪いのは枠組みではなく、枠組みの運用の仕方である。「天皇と将軍の相互関係の実態を知る努力こそが研究者の腕の見せ所ではないかと思うのだが、それはあっさりと放棄される」(『武力による政治の誕生』192ページ)というようになるのは、権門体制論の枠組みがそれを放棄させるのではない。権門体制論を使いこなせていないために「思考停止」になってしまうのである。東島誠氏は「分析概念は〈精確〉に使用することによって初めてそこから自由になれる」(『公共圏の歴史的創造』27ページ)という。権門体制論という分析概念から自由になれていないからこそ、「天皇は上位、将軍は下位。そこで思考は停止する」(『武力による政治の誕生』192ページ)ということになるのではないだろうか。
もっとも「天皇ー朝廷ー公家の実体解明の試みは、実は全くなされていない」現状には、関西の研究者の置かれている現状も影響はしていよう。政治史の良質な史料は東京大学史料編纂所に集められている。関西の研究者にとって東京まで出かけていって、そこで史料調査を行うのには大きな負担がかかる。交通費・滞在費がバカにならないだけではない。時間の制約もある。そういう関西の事情も働いているかもしれない。「天皇ー朝廷ー公家の実体解明の試みは、実は全くなされていない」現状は権門体制論者のみの責任ではない、と言っては言いすぎだろうか。