これはひどい、ウィキペディア

近衛基平近衛基平 - Wikipedia)のところでデタラメを垂れ流しているウィキペディア。基平の日記の『深心院関白記』の項目(深心院関白記 - Wikipedia)でもデタラメが垂れ流されている。

基平は蒙古から書状が届き、それに対する返牒を督促された際、返牒をしないことを頑なに唱え、矯激な姿勢を見せて返牒をすべきと考える一条実経らと争った

要出典だろう。基平が返牒反対論であることは『深心院関白記』にも書いてあるが、一条実経らが返牒論者ということは、あくまでも水亭のレベルでしかない。私はそのように考えているが、そのためにはもう一つひねらなければならない。そもそもそのような議論を見たことがないのだが(私のブログを除く)、もしそれ以外の研究成果があるのであれば、当然それを示さなければならないだろう。こちらにもリンクはないし。
もう一つ、『深心院関白記』の解説を安江良介としているが、そもそもその段階でこれを書いた人物が、そもそも『大日本古記録』の読み方すら知らない人物であることが分かる。この項目を執筆した人物に出典を求める方が酷なのだろう。
この人物は近衛基平のところでもトンデモを披露してくれている。「下手に返答を出せば御しやすしと侮られ、日本の体面を潰しかねないと憂慮し、返答せずの姿勢を堅固」とあるが、それこそどこに書いてあるのだろうか。典型的な「ネットの中の真実」の類いでしかない。しかもおそらくヤオイ系のフィクションで書かれているようなネタである。時輔と信頼関係に結ばれていた、とか、基平が天皇の目の前で自害し、介錯北条時輔だった、という大河ドラマのネタを丸のまま信じている、というのに相当する虚偽事項である。まあこれがウィキペディアクォリティといえばそうなのだろうが。
追記
そうそう、ここもひどい。

深心院関白記においては、蒙古との交渉を含めて、全体の記述は極めて簡素であり、自身や第三者の見解やそれについての言及は殆どなく、朝廷における行事を概ね記述するのみに止まっている。蒙古との折衝に関しても、書状が届いた事、それに対して朝議が催されたこと、蒙古からの来牒に関連して徳政が発令されたことなどを簡潔に述べるだけに止まっている

どう考えても読んでないだろ。かなり詳しいぞ。そもそも解説執筆を安江良介と考える段階でアウトだが。安江良介というのは岩波書店の社長だ。それも知らない歴史学関係者はいないだろう。