「小塩荘帳写」3「はゝ(馬場)村」編2

「はゝ村」の二回目。「馬場村」つまり長岡京市の東の方。


三反 六分一 定米合一石二斗四合五夕
しゆりしき

三五
二反 六分一 定米合五斗六升二合
一のつほ


一反 三分一 定米三斗二升一合
八のつほ

四五
九反 三分一 定八木(米)合三石二斗五升

四五(歩)
三百分 定八木(米)三斗一合
みはしり


二反  六分一 定八木(米)六斗四升二合
むまかい川なり

四五
一反 三分一 定八木(米)三斗六升一合
うすい 神足の大くさ衛門九郎弁へし
  合一町八反三百歩   能仁寺

いくつか補足を。まずこの史料の出典の『長岡京市史』によれば「定米」と「定八木」の二種類があるが、「八木」は「米」の旧字体のこと。だから原史料ではどうなっているのかを見なければならない。ただ私が「九条家文書」を直接見るのはかなり難しいので、例えば『図書寮叢刊 九条家文書』などで校訂をする必要がある。現物が「定八木」と書くことは考えられないので「定米」を「定八木」と読んでしまったのではないか、と邪推している。
もう一つ。「みはしり」は馬場の近くにある「見場走り」。これで「みばしり」と読む。阪急バスのバス停に「見場走り」が存在する。三菱電機京都工場の周辺。