「小塩荘帳写」の見方

「小塩荘帳」の見方であるが、それぞれが何を意味しているのかについて。
例として円明寺村の三筆目の場所を掲げる。

四            こいつミ
大  定米二斗一升四合   小五郎方
ちや屋のまへ

これは「ちや屋のまへ」の「大」。「大」は土地の広さの単位で、三分の二反つまり二四〇歩。ちなみに「半」が一八〇歩、「小」は一二〇歩のこと。だからここは「ちや屋のまへ」という地名の二四〇歩で、「ちや屋のまへ」は「茶屋前」。ただ「茶屋前」は現在の大山崎町には二ヶ所あり、一つは名神高速道路とJR東海道本線にはさまれた付近で、大山崎町役場に近いところ。中学生の時に林間学校の出し物の練習をそこの名神高速下の公園でやった記憶がある。もう一つの「茶屋前」は大山崎歴史資料館に近いところの東海道新幹線と国道171号線にはさまれた地域。同級生が何人か住んでいた。ここの「ちや屋まへ」は円明寺であるから、前者である。
一番上(実際には縦書きなので右になる)に書いてある「四」は反あたり四斗の年貢がかかるという意味で「斗代」とされる。実際に納入すべき年貢額は「定米」と表される「二斗一升四合」で、多くの場所では斗代の八割に「五夕」つまり五勺乃至一合五勺を加えた数値となるが、ここではそれより少ない。
「こいつミ 小五郎方」というのは年貢納入責任者で、小泉川周辺の地名を名乗った国人領主であろうか。