下国政季北海道入りの背景

下国政季と武田信広らが北海道入りしたのは1454年だが、実は大事件が同じ年に起きていた。関東公方足利成氏関東管領上杉憲忠を殺害し、室町公方の足利義政に反旗を翻した享徳の乱である。
一旦鎌倉公方の復活を許可した室町幕府であったが、ここに至って戦闘状態に入り、関東は混乱に入る。その混乱と、下北地域における下北安東氏の南部氏への反旗は無関係ではないだろう。永享の乱では持氏を裏切った南部氏ではあるが、成氏の復権とともに「関東大名」であった南部氏は成氏との関係を強化したであろう。しかし享徳の乱とそれに伴う公儀の分裂は、南部氏の求心力の低下もさそい、結果として下北半島にいた安東氏系の豪族の離反となったのではないだろうか。