これはひどいウィキペディア「室町時代」

今回取り上げるのは「室町時代」の項目。今回は琉球との関係を取り上げたい。問題の箇所はここ。

1414年には将軍足利義持琉球王の献上物に対する返礼の書状を贈っており、1441年には足利義教琉球薩摩国の島津氏の属国とする事を認めており、さらに幕府には琉球奉行が設置されて貿易の統制を行おうとしており、室町時代には琉球が「日本」として認識されていた。

2004年8月にアップデートされたもの。「室町時代には琉球が「日本」として認識」という記述は、私は同意しないが、そういう学説もあるのでさておく。というよりもその方が通説だろう。問題は足利義教の嘉吉附庸説を事実と解釈しているところ。それならば源為朝琉球伝説も史実として書いて欲しいw
琉球奉行の設置と貿易の統制も「琉球が「日本」として認識されていた」こととどう関係あるのか、不明。室町幕府における「奉行」の意味合いをもう少し考えた方がいい。あと『蔭涼軒日録』の琉球関係記事をどう評価すべきか、ということだ。
嘉吉附庸説については、北方史研究で信じられているように、義教の過大評価との関係は指摘できるかもしれない。義教は北海道から琉球までを統合したスーパーマンだったのだw