室町殿の意を伝える文書

御内書というのは室町殿の意をダイレクトに伝える文書であるが、室町殿が発給する文書は御内書だけではない。室町殿の意を間接的に伝達する「奉書」がある。管領が室町殿の意を奉じて発給する文書を管領奉書または室町殿御教書という。政所奉行人が奉じる文書を奉行人奉書という。ここでは奉行人奉書を少し検討したい。

分国弓矢事、早令停止之。追就注進子細可有御成敗。若於不承引輩者、不日可被加治罰之由、所仰下也。仍執逹如件。
永享四年九月五日 大和守
嶋津陸奥守殿

これは薩摩国一揆に関する奉行人奉書である。これは当事者である薩摩、大隅、日向の守護である島津忠国宛の奉書。

弓矢事、可停止之。若有子細者、追就注進可被経御沙汰之由、所被仰下也。仍執逹如件。
永享四年九月五日 大和守
伊集院弾正少弼入道殿

これは伊集院頼久あて。頼久は忠国の父島津久豊に叛旗を翻した人物。当時は久豊に屈していた。頼久の娘を久豊の後室としていれていたので、忠国の後見役のような役割を幕府より期待されていたのであろうか。

大隅国弓矢事、可停止之。有子細者、就注進可有御成敗。若於不承引輩者、不日可被加治罰之由、所被仰下也。仍執逹如件。
永享四年九月五日 大和守
当国々人御中

ちなみに「薩摩・日向両国、文章同前」とあるにで、島津忠国の分国の国人にそれぞれ宛てられていることがわかる。
南部氏と下国氏の対立についても、奉行人奉書が出され、それを南部氏が拒否して、御内書を出すべきか否かが議論となったのだろう。