誰の発言か

渡邊大門氏の『奪われた三種の神器』より。
氏はその著98ページにおいて次のように述べる。「三宝満済のように、満祐の決断を『短慮』であり、残りの二カ国で奉公すべきであったと言う者もいた」
満済准后日記』の応永三十四年十月二十七日条のことだと思われるので、挙げておこう
「此事(赤松満祐の播磨への下国)申入處ニ、短慮之由被仰了。今二ヶ国備前美作被残之了。以彼二ヶ国致奉公堪忍スヘキ處、短慮無正體由仰也。」
これを見る限り、「短慮」と言ったのは足利義持である。満済が自分の発言について「仰」というわけはないからである。義持の発言は「今二ヶ国備前美作被残之了。以彼二ヶ国致奉公堪忍スヘキ處、短慮無正體」の部分であろう。それの要旨が「短慮之由被仰了」ということであろう。