河野加賀入道
帆船ハッカ(@kotosakikotoko)/2013年12月17日 - Twilogで河野加賀入道が『満済准后日記』にあることを知り、そこで『満済准后日記人名索引』で調べた。その結果、永享五年八月一日、六日、九日、九月十八日条に出ていることがわかった。
永享五年八月一日条
今日自方々御憑可拝見申入旨、昨夕被仰間参申了。重宝驚目候。就河野加賀入道事〈管領被官人也〉管領申入旨等今日重具申入了。時宜昨日同然也。
少し解説を加えると、昨日にすでに申し入れと義教の裁決があったようだ。しかし前日の閏七月晦日条には駿河の問題しか載っていない。満済の耳に入ったのがこの日だった、ということで、それ以前からゴタゴタしていたのだろう。
八月六日条
早旦出京。管領来臨。(中略)次河野加賀入道事。管領私儀ニテ白状以後猶告文等究明不可有後難事歟。頭人等飜牛玉裏以罰状可申由可申付云々。此条則管領来間、面々申了。
八月九日条
早旦出京。管領来臨。就河野加賀入道事。頭人両人〈波多野入道、津掃部〉飜牛玉裏申意見了。其子細ハ祇園神主代僧去々月比歟、被殺害了。仍彼僧若党召捕究問処、河野加賀入道妻〈神主僧猶子松寿丸母也〉作語間殺害由白状了。仍此白状旨ニ任テ河野入道妻ヲ可有御罪科歟処、夫入道罷成代官種々陳望申了。其上妻カ罪可懸夫段又無子細歟。次加賀入道若党号酒部云々。此者殺害人同類白状処、此酒部已逐電了。然者下人罪必可懸主人条又式目法也。旁不可遁歟之由頻被仰出間、白状計ニテ御罪科可為何様哉。次若党逐電事、主人不存知者又可為不便事歟間、両条尤可有御究明之由、管領歎申ニ付テ、被尋頭人処、以告文申状両条如管領申。雖為白状御究明尤可在之。且式目ニモ白状計ニテ無證拠并證人者不可罪過旨在之由申入了。仍此告文今日備上覧処、可御究明云々。此由申遣管領方了。
九月十八日条
早旦出京。参室町殿。(中略)河野加賀入道訴人祇園社神主僧若党〈当者籠者也〉。於河野者以前已湯起請取之了。訴人籠者ヲモ召出可湯起請之由、可申遣管領之由被仰出間、召寄安富筑後守、以慶円法眼仰旨申遣了。
ちなみにこの日の最後に満済は「例心痛興盛了」とあって、心臓の調子が良くなかったようだ。しかも翌日には畠山満家が死去し、翌々日には後小松院が吐き気を訴えた後、半身不随となった。十月二十日に「仙洞崩御」とある。