対訳『椿葉記』9

其後准后はやがて太政大臣に成給て、威勢いよいよさかへましまして、吹風の草木をなびかすがごとくに、四夷帰伏して万国静謐せり。城南の離宮には閑素として歳月を送まします程に、明徳三年十一月卅日上皇法皇にならせ給。御戒師は常光国師なり。法親王にこそ御授戒あるべけれども、閑居の院中沙汰にをよばず。さりながら禅律の御戒師先例なきにもあらす。

吹く風の云々-明徳の乱応永の乱を平定し、南北朝合体を成し遂げたこと。
四夷-北狄西戎、南蛮、東夷のことだが、ここでは義満への反体制勢力のこと。
城南の離宮-伏見殿、つまり崇光院と栄仁親王のこと。
常光国師-空谷明応、相国寺第三世住持。
禅律の御戒師-光明院の出家には泉涌寺の了寂、後円融院の出家には泉涌寺竹岩聖阜がそれぞれ戒師を務めている。

その後准后(足利義満)は太政大臣になって、威勢はますます盛んになって、吹く風が草木をなびかせるように、敵を帰伏させ、世の中は平和になった。城南の離宮では簡素な日々を過ごしていらっしゃるうちに、明徳三年十一月卅日上皇法皇におなりになった。戒師はp常光国師であった。本来ならば法親王によって授戒されるのが本来なのだが、閑居の院中ではその手立てができなかった。そうではあるが、禅律による戒師は先例がないわけではない。