対訳『椿葉記』16

さても准后は北山に山荘を立らる。此所は西園寺の居所にてあるを申受られて、昔常磐井の相国の造営せられしにも猶たちこえて、玉をみがき金をちりばめてつくり立られて、応永十五年三月行幸を申さる。十日ばかり御逗留のあひだ、舞童御覧・三船・和歌・蹴鞠など御遊を尽されしに、伏見殿をも申されて、舞御覧の御所作、内々の御楽などにも御参ありし。これぞ御思出とも申ぬべき。

北山に山荘を立らる-言うまでもなく北山殿、現在の鹿苑寺
西園寺-西園寺実永。
常磐井の相国-西園寺実氏
金をちりばめて-普通は修辞だが、金は金閣のこと。本当に金を貼るという思い切った意匠に出た。「黄金の国ジパング」の具現化である。
行幸-後小松院は応永十五年三月八日から二十八日まで北山殿に逗留していた。「十日ほど」と言うのはサバ読みすぎかと思う。
伏見殿-三月十四日の舞童御覧に栄仁親王が参加していることは「北山殿行幸記」に見え、栄仁親王は琵琶を弾じている。三月十九日には笛を奏していることが「看聞日記」同日条に見える。

さて准后は北山に山荘を立てられた。この所は西園寺実永の居所であったのを申し受けて、昔西園寺実氏の造営されたものにも超えて、玉をみがき金をちりばめて作り立てられて、応永十五年三月に行幸を申された。十日ほど御逗留の間、舞童御覧・三船・和歌・蹴鞠などの御遊びを尽くされたが、伏見宮栄仁親王も招待されて、舞御覧や内々の御楽などにも参加なさった。これぞ御思出ということができるだろう。