対訳『椿葉記』18

世中は火を消たるやうにて、御跡つぎも申をかるゝ旨もなし。此若公にてやとさたありし程に、管領勘解由小路左衛門督入道おしはからひ申て、嫡子大樹相続せらる。其後内大臣までなられて出家せられき。此若公は昇進大納言までなられしに、野心の企やありけん、露顕して遁世し給を尋出されて、臨光院といふ寺におしこめて、つゐにうたれ給にき。これは人の御事申て無用なれども、世にありし事なればかたはし申也。

此若公-義嗣。
勘解由小路左衛門督入道-斯波義将
嫡子大樹-義持。大樹は将軍の唐名
大樹相続-将軍であることと室町殿であることは別。
出家-義量に将軍職を譲って出家したが、室町殿の地位とは別物。義持は一貫して御内書を出し続けている。
野心の企-上杉禅秀の乱に関与したという疑いをかけられ、富樫満成に頂けられるが、有力守護大名の関与を自白し、粛清される。

世の中は火を消したようで、跡継ぎも言い置くことはなかった。件の若公ではないか、と噂されていたが、管領斯波義将が推進して嫡子の将軍が相続された。その後内大臣まで昇進なさって出家された。件の若公は大納言まで昇進したが、野心の企てがあったのだろうか、露顕して遁世しなさったのを探し出されて臨光院という寺に押し込められて、ついには討たれた。これは人の事であって無用な叙述であるが、起こった事実なので一端を記録しておくのである。