対訳『椿葉記』19

さて准后御かくれの年、管領申沙汰して伏見御領を返申さる。此御領は長講堂領なれども、惣御領に混ぜずして伏見殿の御子孫管領あるべきよしを、光厳院殿御置文あり。御名字の地なるうへ、別したる御譲の子細も申披かるゝに付て、御安堵あればめでたくて、次の年六月に伏見へ還御なる。

管領-当時の管領は斯波義重だが、実権は父の斯波義将が掌握していた。義将はかつて自分の別邸を栄仁親王に提供していた縁もあって、伏見宮家に対して好意的だったのだろう。
長講堂領なれども-長講堂領は持明院統の所領なので本来は持明院統の惣領である後小松院の管理下にある。

さて准后がお亡くなりになった年、管領が担当して伏見御領を返し申した。この御領は長講堂領ではあるが、惣領にま混ぜずに崇光院の御子孫が管領するべきだと、光厳院殿の置文があった。伏見は伏見宮家の名字の地である上に特別な譲渡の事情も披露されたので、安堵されたのでめでたくて、次の年六月に伏見に還御なさった。