対訳『椿葉記』23

襁褓の時より今出川入道左府に養育せられて、多年菊亭に侍き。幼稚のそのかみ、聖護院覚増法親王の弟子に契約して、すでに入室の日次まで定らるゝ処に、不思議の障碍さへ出来してとまりぬ。倩思ふにも、こなたさまの身は、門跡をさへきらはるゝ程の員外の身にては、ひたすらに浮世を背て山林にこそ思ひ入べきを、猶執心ふかく世にあらむ事を祈念してすぐし侍ほどに、慈父の恩愛によりて俗体に成ぬ。はからざるに御遺跡を相続して、剰君の聖運ひらきまします御代にあひたてまつる、不思議の幸運のいたり、しかしながら仏神の擁護、且は孝行の志を存ぜし冥伽の果ところなり。

今出川入道左府-今出川公直。
聖護院覚増法親王-後光厳院の皇子。

乳児の頃より今出川入道左府に養育されて、長年菊亭にいた。幼少の時、聖護院覚増法親王の弟子に契約して、すでに入室の日取りまで決まっていたのに、不思議な障碍が出来して、中止になった。つらつら考えるに、私の身は門跡に入室することもできないほどの落ちこぼれであれば、ひたすら現世に背を向けて山林に遁世することを考えるべきなのだが、なお執念深く俗体でおようと考え祈念していた間に慈父の恩愛によって俗体になった。はからずも伏見宮家を継承して、それどころか君の御即位まの御代に遭遇したのは不思議の至り、しかしまがら、仏神の擁護や孝行の志を冥加もご存知で、行われたものである。