対訳『椿葉記』29

御位の望にて御謀反の企ある由、世中さはぎ申程に、七月十二日夜中ばかりに、世尊寺宮内卿行豊朝臣伏見殿へ馳参、三宝院准后の御使にて室町殿より申さるゝ趣は、宮御方明日京へなし申されよ、まづ東山若王子へ入申されて警固申さるべきなり〈赤松左京大夫入道警固仰付らる〉。御服などは勧修寺に仰付らる。御迎には管領参べしと申されしかば宮中上下のひしめき、夢うつゝともおぼえず。めでたさも申もなをざりなる心ちして、俄の御出立かたのごとく取まかなひて御迎をまつほどに、十三日の夕がた程に、管領の手の物ども四五百人まいりぬ。やがて出御、御輿にて内々若王子へ渡御なりぬ。

三宝院准后-満済
宮御方-彦仁王。
赤松-満祐。
管領-畠山満家
勧修寺-勧修寺経成。義教時代の武家伝奏の一人。あとは万里小路時房と広橋親光。

天皇の位を望んで御謀反の企てがあるという事を世の中が騒いでいるうちに
七月十二日夜中のころ世尊寺宮内卿行豊卿が伏見殿へ馳せ参じて、三宝院准后の使者として室町殿より申される内容は、「宮御方は明日京へお移し申し上げよ。まず東山の若王子にお入れになって警固を致しましょう。赤松満祐が警固を仰せつかった。必要な服などは勧修寺に仰せ付けた。お迎えには管領畠山満家がまいるでしょう」と申されたので宮中は上へ下への大騒ぎ、夢うつつであった。めでたさも発言するのもはばかられる心地がして、突然の出立のように準備をしてお迎えを待っているうちに
十三日の夕方頃に管領の手の者四五百人参った。やがて出御
御輿にて内々若王子に渡御した。