対訳『椿葉記』30

御共には綾小路前宰相経兼卿・庭田三位重有卿・綾小路中将長資朝臣、女中按察殿〈庭田三位女〉、御乳人などまいる。忠意僧正もいかゞともてなし奉りて四五日御逗留あり。さて室町殿より関白〈二条〉を以て、事の子細を仙洞へ申さるゝ程に、同十七日仙洞に入申さる。室町殿より御車・番頭いしいしまいらせらる。綾小路前宰相・庭田三位、御車の後にまいる。長資朝臣・隆富朝臣供奉す。管領父子まいる。御車の前後に数百人警固にまいれば、道すがら見物の人もおほくて、月はことさらすみわたりて、御ゆく末の嘉瑞も空にあらはれ侍る。目出さも思ひよるきはならねば、おがみたてまつり、ほめのゝしり申とぞきこえし。

綾小路前宰相経兼-田向経良。永享二年に義教の義の字と同音である事を憚り経兼と改名する。
庭田三位重有-庭田家は伏見宮家の外戚で、重有のきょうだいにあたる幸子は貞成の妻、重有のおばの資子は貞成の祖母。田向、綾小路、庭田はいずれも宇多源氏
綾小路中将長資-経兼の子。
按察殿-庭田重有の娘。
忠意僧正-若王子神社の社僧。
関白-二条持基
仙洞-後小松院。
隆富-西大路隆富。四条家の分家。
管領父子-畠山満家、持国。

お共には綾小路前宰相経兼卿・庭田三位重有卿・綾小路中将長資朝臣、女中按察殿、乳母などがまいったq。忠意僧正も何くれとなくもてなし奉りて、四五日御逗留があった。さて室町殿より関白を通じて事情の詳細を仙洞へ申して、十七日に仙洞御所へ入り申された。室町殿より御車・牛飼など次々に進上された。綾小路前宰相・庭田三位、御車の後に参った。長資朝臣・隆富朝臣も供奉した。管領父子も参った。御車の前後に数百人の警固が参ったので、道すがら見物の人もおおくて、月はことさらに澄み渡って、御行末の嘉瑞も空に表れていた。めでたさも思いよる際限がないので、拝み奉り、口々に褒め称えたと聞こえてきた。